ジャパンカップダート

第2回 ジャパンカップダート

「ジャパンカップと並ぶダートの国際競走を創設しよう」

日本のダート馬による海外への挑戦が盛んになった2000年、関係者のこのような声を受けて、日本初のダート国際招待競走『ジャパンカップダート』は開設された。
今日では『チャンピオンズカップ』と称されるこのレースであるが、開催2年目には早くも関係者の期待を超えた成果を上げることとなった。
当時ダートで絶大な注目を集めていた『クロフネ』が、世界の強豪を相手に圧勝を遂げたのである。

2001年11月24日、東京競馬場。
この年のジャパンカップダートには、国内外から強豪馬たちが集結した。
国内の有力馬としては、前年の第1回を制したウイングアローに、フェブラリーステークスの覇者ノボトゥルー
ダートの本場アメリカからは、G1を2連覇した第一級のダート馬リドパレスをはじめ、ディグフォーイット、ジェネラスロッシの3頭。
ヨーロッパからもアエスクラップキングオブタラの2頭が参戦し、国際色豊かなメンバー構成となった。

そんな強豪たちを抑えて圧倒的1番人気となったのがクロフネである。
日本においてほとんどの有力馬がそうであるように、デビュー以来芝のコースで結果を残し続け、この春もNHKマイルカップを制したクロフネ。
ダート戦デビューとなった前走の武蔵野ステークスもあくまで、当時の規則によって出走できなくなった天皇賞(秋)の代わりに過ぎなかった。

しかし、そこでクロフネは1600mを1:33.3という、当時のJRAレコードを1秒以上更新するタイムで圧勝してみせたのだ。
ダートコースを芝並みのスピードで走り抜けるクロフネに、日本中の競馬ファンが度肝を抜かれた。
この馬ならアメリカ馬にも欧州馬にも勝てる、と誰もが思い、その期待は単勝1.7倍という圧倒的なオッズとして現れた。

レースが始まると、クロフネは後方までポジションを下げた。
ハナを切ったのはアメリカのディグフォーイット、日本のノボトゥルーがその内側2番手。
この日2番人気のリドパレスは6番手、3番人気のウイングアローは中段やや後ろの13番手ほどで、最後尾のオンワードセイントまで先頭から大きな差のない状態でレースは進んでいった。

向こう正面を過ぎる頃、クロフネはじわりじわりと順位を上げ始めていた。
第三コーナーの入り口ではすでに2番手集団につけていたクロフネだが、彼はなおも追い上げのペースを保ち続け、大ケヤキを過ぎるころにはディグフォーイットを捉えて一番手。
中距離のダートコース、しかも最後の直線に急坂が待ち構える東京競馬場においては、あまりにも早すぎる仕掛けだった。

スタンドはクロフネのスピードに驚きこそしたが、その戦略を危ぶむ者はいなかった。
クロフネは前走の武蔵野ステークスで、まさにこの時と同じ、超ロングスパートによって圧勝を遂げていたのである。

後続に2馬身ほどの差をつけて直線を向いたクロフネ。
後ろからはノボトゥルー、ミラクルオペラ、ウイングアローらが必死の追い上げを見せていた。
並のG1馬であれば、ゴール前で後続のだれかに差し切られていただろう。
しかし、クロフネはのちに日本ダート最強と称されることになる名馬、そしてこの日の走りは、彼の生涯を通じて最高のものであった。

残り200m、既に勝負あったという雰囲気のスタンド前で、クロフネはなおも伸び続けた。
そして、二番手争いを繰り広げる強豪馬たちに7馬身もの着差をつけ、ゆうゆうとゴールを駆け抜けたのだった。

この日の勝ちタイムは2:05.9
前年の覇者ウイングアローの時計を1秒3更新する、とてつもないレコードタイムであった。
乾いた砂がスピードを奪う良馬場のダートコースにおいては、通常考えられないほどの大記録。
その場に居合わせた誰もが、この馬なら世界を獲れると確信した。
競馬ファンたちは、クロフネがドバイのダートを駆け抜け、世界の強豪を下して頂点に立つ姿を想像した。

しかしクロフネはその後、ドバイワールドカップに向けた調教の過程で屈腱炎に襲われ、その競争生命を絶たれるのである。

第2回ジャパンカップダート。
クロフネが未だ破られぬレコードを打ち立てたこのレースは、紛れもなく競馬史に残る名勝負であった。
しかし、クロフネの名レースと聞いてファンが思い浮かべるのは、彼が勝利したどの競争でもなく、出走さえ叶わなかったドバイでの走りなのだ。

第2回ジャパンカップダート
1着:クロフネ(武豊)
2着:ウイングアロー(横山典弘)
3着:ミラクルオペラ(幸英明)

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