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ライスシャワーがミホノブルボンの3冠を阻止した菊花賞

3冠の偉業を阻んだその馬も後に名馬として歴史に名を残す事になる
目次

1992年 53回 菊花賞結果

騎手
1 ライスシャワー 的場均
2 ミホノブルボン 小島貞博
3 マチカネタンホイザ 岡部幸雄

 

1992年11月8日。

京都競馬場は、ある歴史的偉業をその目で見ようと訪れた競馬ファンで溢れていたわ。

 

この日は、朝日杯を制した2歳王者であるミホノブルボンが無敗での三冠達成に挑戦する、
第53回菊花賞の開催日だったのよ。

 

 

過去に無敗でクラシック三冠を達成した馬はわずか1頭、8年前に「皇帝」と称されたシンボリルドルフのみだったわ。

 

もしもこの日ミホノブルボンが勝利すればその皇帝の記録に並ぶばかりか、かつてシンボリルドルフが出走を回避した朝日杯までも制した唯一無二の存在として、後世までその名を残すことになるわね。

 

京都競馬場に足を運んだ観客やテレビの前の視聴者など、この日競馬ファンの誰もがミホノブルボンに熱い視線を注いでいたわ。

 

 

その注目の高さは数字にも表れていたわ。
レース当日、ミホノブルボンの支持率は約52%、単勝オッズは1.5倍だったの。

 

2番人気ライスシャワーの7.3倍に大きく差をつけた、まさに圧倒的な倍率だわ。

 

 

ミホノブルボンはこのライスシャワーと過去4度対戦していたけど、そのすべてで勝利していたの。

 

特に3月のスプリングステークスでは、両者の間には10馬身にも及ぶ圧倒的な差があったわ。

 

本走菊花賞はそれらのレースよりもはるかに長い3000mで行われるため、今回はコースの適性上ライスシャワーに分があるという意見もあったけど、
「それでも結局、今回もミホノブルボンが勝つだろう」
ファンがそう思うのも無理のないことだったわ。

 

 

そして15:35。
偉業の達成を急かすようにゲートが開いたわ。

 

 

いつものようにレースを先導しようとするミホノブルボンだったけど、同じく逃げを試みたキョウエイカーボンに抑えられての2番手となったわ。
ライスシャワーはそのやや後ろで、5番手からライバルの背中を見つめていたのよ。

 

 

1000m通過タイムは59.7と平均的なペース。
久々に他馬を前にしたミホノブルボンは途中行きたがるところを見せながらも、どうにか折り合いを取り戻してレースを進めたの。

 

 

そしてレース終盤。
第四コーナー手前の残り600m、ミホノブルボンがついに先頭に踊り出たわ。

 

そこを目掛けて、内からマチカネタンホイザ、外からライスシャワーが猛然と追いすがったの。
必死に逃げるミホノブルボンだったけど、ライスシャワーの伸びは驚異的だったわ。

 

2頭の差がどんどんと詰まっていく様子は、両者のこれまでの戦いの歴史を思い起こさせたのよ。

 

 

3月のスプリングステークスでは10馬身近い差があった2頭。
4月の皐月賞、5月の日本ダービーでもまだ4馬身の差があったわ。

 

だけど、夏を越すとライスシャワーは徐々にブルボンに肉薄していったの。
10月の京都新聞杯では、その差は1馬身半まで詰まっていたのよ。

 

 

そして11月8日、菊花賞が行われたこの日。
猛烈なたたき合いの末に両者は横並びとなり、ゴールまで残り100m、遂にライスシャワーがミホノブルボンを追い越したわ。

 

 

尚も伸び続けるライスシャワーを前に、勝利が絶望的となったミホノブルボンだけど、その気力はまだ潰えていなかったわ。
ラチ沿いをすり抜けて2着入線をもくろむマチカネタンホイザを、ゴール手前で辛くも差し返したのよ。

 

ミホノブルボンの最終的な着順は、ライスシャワーと1馬身1/4差の2着、マチカネタンホイザとはわずかにアタマ差だったわ。

 

 

ライスシャワーの勝ち時計は3分05秒0と、当時の芝3000mにおけるレコードタイム。
また2着のミホノブルボンの走破タイムも、当時のレースレコードを上回るものだったわ。

 

ミホノブルボンに慢心があったわけではないけど、この日のライスシャワーにはそれだけの勢いがあったのよ。

 

 

この日、ターフ上で繰り広げられたレースの白熱ぶりに反して、決着後のスタンドの様子はどこか冷ややかだったわ。

勝者ライスシャワーが、ミホノブルボンの歴史的偉業を邪魔した悪役として捉えられたのよ。

 

 

当時の彼らには気づく余地もなかったけど、この菊花賞はいくつかの意味で十二分に歴史的なレースだったわ。
この日2着に敗れたミホノブルボンは2週間後に脚部不安を発症し、以後レースに戻ることなく引退しているの。

 

つまり、このレースはミホノブルボン最後のレースにして、生涯唯一の黒星となったのよ。
そして何より、のちの名馬ライスシャワーに初めてのG1勝利をもたらしたレースでもあった。

 

ライスシャワーは、1995年に非業の死を遂げるまでの生涯でG1通算3勝を挙げ、のちに「黒い刺客」「最後のステイヤー」の異名で称えられることになるのよ。

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