桜花賞のシャダイカグラの出遅れは武豊の戦略だったのか
致命的な出遅れを喫したのは有利なインコースに行く作戦か
1989年 49回 桜花賞結果
着 | 馬 | 騎手 |
---|---|---|
1 | シャダイカグラ | 武豊 |
2 | ホクトビーナス | 柴田善臣 |
3 | タニノターゲット | 小島貞博 |
競馬に詳しくない人でさえ名前を聞いたことがあるほどの超有名騎手といえば、まず武豊(たけ ゆたか)の名前が挙げられるだろう。
1987年に17歳でデビューして以来第一線で活躍を続け、今なお天才として名高い名ジョッキーである。
そんな武のデビュー3年目、彼に初の牝馬クラシック優勝をもたらし「ユタカの恋人」と呼ばれた名馬がいた。
その名はシャダイカグラ、そして二人にとっての記念すべきレースが『第49回 桜花賞』である。
シャダイカグラの父は、後に数々の活躍馬を輩出してリーディングサイアーとなるリアルシャダイ、母は中央競馬で3勝を挙げたミリーバード。
武と親交の深かった伊藤雄二調教師の考案による配合で生まれたシャダイカグラは、デビュー以来着実に勝利を重ね、クラシック競争の本命馬となっていた。
前走ペガサスステークスも危なげなく勝利し、その勢いのままに迎えたこの年の桜花賞。
シャダイカグラの馬番は枠順抽選の結果と、当時実績馬に適用された単枠指定という制度により、大外18番となった。
当時桜花賞が行われた阪神の芝1600mは、スタート直後にコーナーが配置されたコース設計で圧倒的に外枠不利。
しかし、シャダイカグラは最終的に単勝2.2倍の1番人気に支持された。
そして運命の発走時刻。
ファン達がその目を疑うような事態が起きたのは、ゲートが開いてすぐのことだった。
シャダイカグラが出遅れたのだ。
枠順の不利が0.5秒分にもなると言われたコースで更に出遅れとなれば、その差は致命的である。
方々から悲鳴にも似た声が上がる場内だったが、その中でただ一人冷静沈着な男がいた。
鞍上の武豊である。
武はシャダイカグラを後方に置いたまま最内に移動させ、そのまま馬群を縫うように進出を開始した。
その若く小さな背中には、G1という大舞台で人気に応えねばならないプレッシャーや、出遅れによる焦りなどは微塵も感じられなかった。
最下位でのスタートだったシャダイカグラは内ラチ沿いの最短経路を走り続け、気付けば3コーナーの時点で順位は中ほどに。
4コーナーを回る頃には先行集団を捉え、十分に勝利を狙える位置で最後の直線を向いた。
このとき、最も手応え良く回ってきていたのは、6番人気のホクトビーナス。
レース開始から中団でスムーズな競馬を見せ、まだ十分に脚を残していた。
最後の直線では真っ先に先頭へ飛び出し、後続を突き放しにかかった。
しかし、ここで凄まじい伸びを見せたのがシャダイカグラ。
未だ勢いを保つホクトビーナスとの差を一完歩ごとに詰め、最後には武に押された首をめいっぱいゴールへ向けて伸ばし続けた。
そして遂に、シャダイカグラはホクトビーナスにアタマ差先着し、枠順と出遅れというハンデを覆しての勝利を果たしたのである。
この勝利の後、武にはある噂がついて回った。
「桜花賞での出遅れは、わざとだったのではないか?」
外枠のシャダイカグラを内に潜らせて不利を消すために、わざと出遅れさせたというのだ。
確かに、レース当日の冷静な騎乗や、二人の為に空けられたようなインコースの様子を思い返せば、すべてが武の計算通りに運んでいたようでもあった。
しかし、コンマ1秒を争うG1の舞台で本命馬を出遅れさせるような判断が、果たして可能なのだろうか?
噂の真相は闇の中だが、武豊には「彼ならやりかねない」と思わせるだけの力があった。
この年の桜花賞は、後に無数に語られる『武豊伝説』の一つとなったのだ。