マーベラスサンデー

マーベラスサンデー

1992年生まれのサンデーサイレンス産駒と言えば言わずと知れた初年度産駒である。
この初年度産駒からはフジキセキ、ジェニュイン、タヤスツヨシ、ダンスパートナーなどがいた。
彼らに共通するのはデビューから光を浴び続けていたということ。

しかし、そのサンデーサイレンスの初年度産駒の中に天才・武豊が心底惚れ込んだ馬がいた。
苦難を乗り越えて春のグランプリを制した馬

それが…

『マーベラスサンデー』

である。

今でこそサンデーサイレンスと言えば日本を席巻し血統背景を塗り替えるほどの活躍を見せた種牡馬であるが、 日本に来た当初はそれほどの期待は掛けられていなかった。
特に幼駒には体質的に貧弱な面が多く見られ、このマーベラスサンデーはしばらく買い手が付かないほどだった。
そこで早田牧場はマーベラスクラウンを管理していた、調教師の大沢真に話しを持ちかけマーベラスサンデーの受け入れを取り付けた。
調教師の大沢は馬主をマーベラスクラウンを所有していた笹原貞生にお願いしたのだ。
これで、馬主と入厩先が決まったマーベラスサンデーはデビューに向けて栗東トレーニングセンターに入った。

夏に栗東で調教を積まれていたマーベラスサンデーはその走りで関係者を驚嘆させた。
この時点で既に大器の片鱗を見せていた。
デビュー戦の鞍上には武豊が決まった。
そんな矢先だった。
マーベラスサンデーは骨折をしてしまうのだ。
これによりデビューの時期は大幅に遅れるのである。

無事に牧場から帰った来たマーベラスサンデーは年明け1995年の京都のダートでデビューを迎えた。
兼ねてから噂されていた馬のデビュー戦ということもあり1番人気でのデビューを迎えた。
ここを難なく勝利すると、続く500万下のゆきやなぎ賞勝ちうっすらではあるがクラシックが見えてきた。
クラシックを目指すべくマーベラスサンデー陣営が次に選んだのはG3の毎日杯であった。
が、ここで再び以前と同じ箇所を骨折してしまった。
これによりクラシックを棒に振るどころか長く険しい休養生活に入るのであった。

マーベラスサンデーがターフに帰ってきたのは約1年後のこと。
1996年の4月の阪神でのことであった。
ここを4着で無事にレースを終え、その後900万下、1500万下と自己条件を難なく突破し見事オープン入りを果たした。
6月の東京で行われるエプソムカップに出走したマーベラスサンデーをファンが1番人気で迎えた。
やはりものが違うとはこの事だ。
ここもあっさり勝利し初重賞制覇を遂げた。
しかし、こんなものはもはやこの馬の通過点でしかなかった。

次はG3の札幌記念に出走し、ここも圧倒的人気に応えて勝利。
その後、朝日チャレンジカップ、京都大賞典も勝利し重賞4連勝を達成。

クラシック候補とも言われた馬だが、悲願のG1出走を遂げた。
決してここまでは順風満帆であったわけではない。
しかし、鞍上の武豊はこの馬の能力を信じ続け跨り続けた。

迎えた第114回天皇賞(秋)
マーベラスサンデーは2番人気での出走となった。
相手をサクラローレルに絞りすぎたが故に、先に抜け出したバブルガムフェロー、マヤノトップガンを捕らえきれず 最後はサクラローレルにも差されG1デビュー戦は5着であった。

ジャパンカップを回避し年末の有馬記念への出走を決めた。
相手はサクラローレルとマヤノトップガンのみであった。
11番枠からスタートを切ると好位の4番手からレースを進めていく。
トップガンを前に見て、ローレルからはマークされる形でのポジションになった。
3コーナーを回り早めに前を捕まえに行った。
それを見てローレルも動き出す。

先にマーベラスサンデーが抜け出す、そこをサクラローレルが一気に飲み込んだ。
結果、サクラローレルから2馬身半離されての2着だった。

G1制覇こそこの馬にとっての重要ミッションであった。

悲願のG1獲りへ勝負の1996年が幕を開けた。
その初戦に選んだのが産経大阪杯であった。
馬体重はプラス16キロとふっくらした姿でファンの前に現れたのだがレースでは危なげなく勝利。
万全の体制で天皇賞(春)に向かった。
そこで待っていたのはローレル、トップガンとの「3強対決」であった。

ゲートが開くとマーベラスサンデーは2頭を前に見る形でレースを進めていく、これまでとは逆のパターンであった。
途中からサクラローレルが掛かり気味に先行勢についていく。
それを見た武豊も追いかけるのだが、マヤノトップガンの田原成貴はトップガンを内でじっとしていた。

そして、直線を向いてサクラローレルとマーベラスサンデーが叩き合いを始めます。
残り1ハロンまでは2頭のどちらかで決まると思われていたのだが、 大外から我関せず自分のレースに徹していたマヤノトップガンが2頭を飲み込み先頭に立ちそのままゴール。
マーベラスサンデーはまたもや出し抜けを食らって2着。
決して納得できる敗戦ではなかった。

春に栄光を掴むには残り1戦。
宝塚記念だけであった。

1997年7月6日第38回宝塚記念。
1番人気で迎えたマーベラスサンデーの馬体重はマイナス10キロとここを本気で獲りに来た数字であった。
相手は、藤沢厩舎のバブルガムフェローとダイキブリザード。
オークス馬のダンスパートナーあたりであった。
メンバー的には決して劣る相手ではないし、むしろ勝たなければばらない相手であった。

ゲートが開きスタートしたマーベラスサンデーは後方3番手で1コーナーを回っていく。
終始バブルガムフェローを見る形でレースを進めていき、そのバブルガムフェローが動き出すのを見てマーベラスサンデーも動きだす。
直線を向き先にダイキブリザードとバブルガムフェローが抜け出す。
前が壁になったマーベラスサンデーと武豊は馬体をバブルガムフェローの外に併せた。
そして、坂を登り粘り込みを図ったバブルガムフェローをクビ差捕らえて勝利。
悲願のG1初制覇を飾った。

しかし、その後骨折が判明し秋は有馬記念のみに出走し2着。
翌年も現役続行が決まっていたが屈腱炎を発症し現役生活に別れを告げた。

その秘めたポテンシャルはクラシック級。
いや、間違いなくダービーで勝ち負けできるほどの才能を持っていた。

しかし、この馬に常に付きまとったのは骨折だった。
それでも天才は手放そうとはしなかった。
天才がデビューから引退まで跨った数少ない馬。

武豊をこれまで惚れこました馬はマーベラスサンデーが初めてかもしれない。

マーベラスサンデー
生年月日:1992年5月31日-2016年6月30日
父:サンデーサイレンス
母:モミジダンサー
戦績:15戦10勝
主な勝ち鞍:'97宝塚記念(G1)
調教師:大沢真
騎手:武豊
馬主:笹原貞生
生産者:早田牧場新冠支場

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