グラスワンダー
98年と言えば黄金世代と言われた世代であった。
とにかく強い馬がひしめき合っていた。
その中でもアメリカ産馬の栗毛の馬は特別なオーラを放ちライバルたちと凌ぎを削っていた。
特にグランプリには無類の強さを発揮し99年には春秋グランプリ連覇を達成。
“マルゼンスキーの再来と言われた馬”
それが…
“グラスワンダー”だ
美浦の尾形充弘厩舎に入厩したグラスワンダーは1997年9月に中山競馬場でデビューを迎えた。
ここでこの栗毛の馬は日本の競馬関係者に衝撃を与えたのであった。
単勝は1.5倍の断然人気。
外枠からスタートを切ったグラスワンダーはすっと2番手につけて競馬を進めていく。
そして、直線を向くと鞍上の的場均がほぼ追うことなくあっという間に2着馬に3馬身の差をつけて圧勝。
その走りっぷりは既に3歳馬(当時)の域を超えていた。
次にグラスワンダーが向かったのは、東京で行われるオープンのアイビーステークス。
新馬戦とは違い後方からレースをしていたグラスワンダーだが、直線だけで他馬を飲み込み終わってみれば5馬身差の解消。
そのままの勢いで重賞の京成杯3歳ステークスに挑んだグラスワンダーだったが、もはやこの世代には敵など存在しなかった。
初めての重賞挑戦で単勝オッズが1.1倍。
この数字が現時点でのグラスワンダーの全てを物語っていた。
結果は、2番手からあっさり抜け出し終わって見れば6馬身差の圧勝。
もはや、3歳王者はこの馬で決まりという様相が呈していた。
1997年12月7日朝日杯3歳ステークス
もはやグラスワンダーが負けるなど到底考えられるものであった。
ここ3戦で見せた走りっぷりはもはや異次元であった。
オッズは1.3倍と確証ムードが漂っていた。
11番枠からスタートしたグラスワンダーと的場均は中団を選択した。
このレベルならもはやポジションなども無関係なものだと思われた。
半マイル45.4と明らかなハイペースであった。
それを難なく追走していき、4コーナーでは馬なりで上がって行き直線で追い出しにかかるとあの雄大な馬体は躍動した。
軽く追い軽くムチを使っただけで2馬身半。
勝ちタイムは1:33.6の当時のレコードでありレース史上で初めて1:34.0の壁を破ったのであった。
この勝ちっぷりに実況アナウンサーが『マルゼンスキーの再来です!』というほど衝撃を与えた走りであった。
そして、文句無しでこの年のJRA勝最優秀3歳牡馬を受賞。
ただ、この時期はまだ外国産馬にクラシックが解放されていなかったのでグラスワンダーが目指すのはNHKマイルカップであった。
しかし、そんな怪物を不運が襲う。
NHKマイルカップの前哨戦としてニュージーランドトロフィー4歳ステークスを目指していた矢先に右足に骨折が判明。
これにより春を棒に振ることになった。
この年のNHKマイルカップは幻のNHKマイルカップとなった。
骨折が癒えグラスワンダーは秋にターフに帰ってきた。
そのレースとなったのが毎日王冠である。
ここには、サイレンススズカともう一頭の無敗の外国産馬のエルコンドルパサーが出走してきた。
G2とは言え誰が1番強いのか決めるには興味が尽きないレースであった。
1998年10月11日第49回毎日王冠
時代が変わった今なお伝説と語り継がれるレースである。
G2としては異例の12万人が競馬場に詰めかけた。
人気はサイレンススズカが1番人気。
2番人気は怪我明けのグラスワンダー。
3番人気は無敗でNHKマイルカップを勝ったエルコンドルパサーである。
やはり、グラスワンダーの強さを評価する人が多かった。
それだけ3歳時のレースが衝撃的だったのだ。
ゲートが開きサイレンススズカが逃げる。
エルコンドルパサーはそのサイレンススズカをマークする形をとる。
スタートで若干出遅れたグラスワンダーは中団からレースを進めていく。
サイレンススズカが作り出したペースは1000m通過が57.7。
大欅を過ぎたところからグラスワンダーが先にサイレンススズカを捕らえにかかる。
直線を向きサイレンススズカが後続を離しにかかる。
グラスワンダーも付いて行こうとするが追い付かない。
サイレンススズカ1着。
エルコンドルパサー2着。
グラスワンダーは5着という結果になった。
さすがに休み明けでタフなレースになったのが敗因だろう。
次にグラスワンダーが向かったのはアルゼンチン共和国杯であった。
好位からレースを進めていったのだがいいところなく6着に敗れた。
この2戦のレースぶりから“早熟説”などが流れ、「グラスワンダーは終わった・・・」との声を聞こえていた。
そして、3歳時の輝きと威厳を取り戻すためにグラスワンダーは有馬記念に向かった。
1998年12月27日第43回有馬記念。
グラスワンダーは4番人気とはいえ伏兵扱いに過ぎなかった。
しかし、怪物と呼ばれた馬はこのままでは終わることはなかったのだ・・・
レースはこの年のクラシック2冠馬のセイウンスカイが先手を取り引っ張っていく。
グラスワンダーは中団の真ん中からレースを進めていく。
3コーナー過ぎから馬の気に任せて上がっていき直線を向いた頃には前を射程圏内に捉えていた。
そして、その地を這うような走りは再び復活した。
坂を登り先頭に立つと後方からメジロブライトが猛追してくるがグラスワンダーはそれを凌ぎきり先頭でゴール。
見事復活の勝利を飾った。
周りの雑音を己の力で黙らせたグラスワンダー。
翌年は国内に専念が決まりこれで同期のダービー馬との戦いが面白くなったのだ。
1999年。
グラスワンダーは産経大阪杯からの復帰を目指していたのだが厩舎で暴れてしまい再び怪我をしてしまい、
大阪杯を自重し京王杯スプリングカップでの復帰が決まった。
ここでは先に抜け出したエアジハードを3/4馬身捉えて勝利し安田記念に向かった。
1999年6月13日第49回安田記念。
グラスワンダーのオッズは1.3倍の圧倒的な指示を集めての出走となった。
前走の京王杯スプリングカップと打って変わりグラスワンダーが前に位置し、エアジハードはそのグラスワンダーを見る形での展開となった。
4コーナでエアジハードがグラスワンダー目掛けて早めに動き出した。
直線を向いてグラスワンダーが先に抜けだしそのままだと思われていたが、外からエアジハードがグラスワンダーを差し切ったのだ。
前走とは全く逆の展開での敗北。
この頃から「グラスワンダーは左回りが苦手」という話が持ち上がっていた。
安田記念で思わぬ敗北を喫したグラスワンダーはグランプリ連覇を目指し宝塚記念に向かった。
ここで生涯にして最大のライバルのスペシャルウィークと初めて相見えることとなるのだ。
1999年7月11日第40回宝塚記念。
注目は、グラスワンダーvsスペシャルウィークのみであった。
ファンの支持はスペシャルウィークを1.5倍。
グラスワンダーを2.8倍。
と完全なる2強で迎えた。
ゲートが開きスタートを切るとスペシャルウィークが前に行きそれをグラスワンダーは見る形でレースを進めていく。
3コーナーから早めにスペシャルウィークが進出をしそれを目標にグラスワンダーが後を追う。
直線を向き早々とスペシャルウィークを捕らえ後は差をつけるだけだった。
終わってみればダービー馬に3馬身の決定的な差をつけての勝利。
ダービー馬のプライドを打ち砕いた瞬間だった。
これで有馬記念に続くグランプリ連覇を達成。
秋は前年同様に毎日王冠から始動。
圧倒的人気に応えた勝ったは勝ったが着差はハナ。
やはり、左回りになるとパフォーマンスが落ちるのは否めなかった。
ジャパンカップを目指していたグラスワンダーだが、レース前に跛行のため回避になった。
そして、グランプリ連覇を目指し有馬記念に出走をしてきた。
この年での引退が決まっているスペシャルウィークとの最後の戦い。
宝塚記念では圧勝したとは言え一筋縄ではいかないと的場均は思っていた。
展開は宝塚記念とは逆になる。
それだけを心得てグラスワンダーに跨った。
1999年12月26日第44回有馬記念
人気は宝塚記念とは逆になった。
グラスワンダーが1番人気。
スペシャルウィークが2番人気。
しかし差は僅かであった。
確固たる逃げ馬がいないこのレースは明らかなスローペースになった。
スペシャルウィークはシンガリから、グラスワンダーはその数馬身前にいた。
3コーナー過ぎから先にグラスワンダーが動きだす。
それを見てスペシャルウィークが動き出す。
流れ的には宝塚記念と全く同じであったが位置どりが真逆だった。
直線を向きグラスワンダーの外にスペシャルウィークは進路をとった。
坂を登り一旦3歳馬のテイエムオペラオーが抜け出しにかかるが、ゴール前ではグラスワンダーとスペシャルウィークが鼻面を並べてゴール。
どっちが勝ったかなど一眼では判断がつかないほど僅差であった。
長い写真判定。
武豊とスペシャルウィークは勝ったと思いウイニングランをし、対照的に的場均とグラスワンダーは検量室前に引き上げ2着のところに馬を入れた。
そして、写真判定が終わり電光掲示板に出た着順は・・・
1着7番:グラスワンダー
2着3番:スペシャルウィーク
着差はハナ。
その差はわずか4cmと言うものであった。
これで、グラスワンダーはグランプリ3連覇を達成した。
歴史に残る名勝負。
力と力のぶつかり合い。
まさに競馬の醍醐味を見せられた瞬間だった。
スペシャルウィークはこれで引退。
グラスワンダーは翌年も現役続行を決断。
しかし、その後グラスワンダーがレースで勝利を収めることはなかった。
怪物と評価されその通りの走りを見せてた栗毛の外国産馬。
手にしたG1は4つ。
そのうち3つがグランプリ。
特に中山での強さは目を見張るものがあった。
しかし、天は二物を与えない。
東京でのパフォーマンスが落ちるのは確実だった。
出来ることなら、ジャパンカップでのグラスワンダーとスペシャルウィークとエルコンドルパサーの戦いが見たかった。
好敵手。
この存在が馬を奮い立たせることがあるかもしれない。
グラスワンダーとスペシャルウィークはまさにこのような関係であっただろう。
王者の風格と言うものを漂わせた馬こそ
『グラスワンダー』
なのだ。
グラスワンダー
生年月日:1997年4月17日
父:Silver Hawk
母:Ameriflora
戦績:15戦9勝
主な勝ち鞍:'97朝日杯3歳ステークス(G1) '98 '99有馬記念(G1) '99宝塚記念(G1)
調教師:尾形充弘
騎手:的場均
馬主:半沢有限会社
生産:フィリップスレーシングパートナーシップ&ジョンフィリップス
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