エイシンフラッシュ

エイシンフラッシュ

サラブレッドが生涯1度しか立てない舞台で、この上ない光を浴び煌びやかな競走馬人生を期待したのにも関わらず その後は長いトンネルに入った。

そして、一人の男とで出会いがこの馬を再び光輝く舞台へと蘇らせた。
その名の通り最も権威ある舞台で輝いた馬

『エイシンフラッシュ』

父はキングマンボの直仔のキングズベスト。
エイシンフラッシュはドイツからの持ち込み馬である。

キングズベスト自体、日本での馴染みはさほどなかった。
故にエイシンフラッシュにも過度な期待は掛けられていなかった。
デビュー戦は2009年7月阪神1800m。
人気は5番人気で結果は6着であった。

その後の未勝利戦を内田博幸を配し2番人気で1着。
クラシック出走にはどうしても賞金の加算はしたかった。
その上でオープンの萩ステークスに出走。
3番人気で3着。
勝って賞金を加算することはできなかった。

自己条件に戻り500万下のエリカ賞を快勝し、翌年の京成杯に向かった。
1番人気で出走したエイシンフラッシュは、3番手からレースを進めていく。
ペースは超が付くほどのスローであったが、エイシンフラッシュ自身は折り合いを欠くなどはなかった。
3番手のまま直線を向きそこからは上がり最速でアドマイヤテンクウを捉え初重賞勝ち。
これで無事にクラシックに進める準備は整った。

その後、トライアルを叩かずにエイシンフラッシュは皐月賞に直行した。
京成杯からの休み明けということもあり当日の人気は11番人気であった。
しかし、後方からレースを進めると終始馬群は固まったまま進んでいった。
4コーナーでは前が壁になり進路が見つからなかった。
それでも進路を見つけると伸び最後はヒルノダムールに差されたが3着。
人気を考えれば上々であった。

休み明けのG1で3着と祭典に向けては文句なしの結果であった。

2010年5月30日第77回日本ダービー。
1番人気は皐月賞馬んヴィクトワールピサ。
2番人気は無敗で青葉賞を勝ったペルーサ。
エイシンフラッシュは人気は上がったとは言え7番人気での出走となった。
見くびられた皐月賞3着馬は、この府中の2400mで切れないものは無いほどの極上の切れ味を見せるである。

1枠1番からスタートしたエイシンフラッシュ鞍上の内田博幸は、 無理に前に行かせることもせず馬とのリズムに気をつけて1コーナーに入っていった。
前半1000mが61.6とスローな流れに落ち着いていた。
手綱を引っ張る騎手も多く見えるなか内田博幸とエイシンフラッシュはしっかりと折り合いを見せていた。

先頭からシンガリまでが塊のまま4コーナーから直線に向いていく。
内田博幸は極限まで追い出しを我慢した。
残り300から追い出しにかかると、放たれた弓と言うスピードは瞬く間に前団を飲み込んでいったのだ。
最後はローズキングダムをクビ差凌いで1着。
その上がり3ハロンは2400では極めて異例な32.7と極上の切れ味であった。
内田博幸は悲願のダービージョッキーとなった。

秋は菊花賞を目指すべく神戸新聞杯から始動した。
ダービー2着馬のローズキングダムとの叩き合いに負け2着。
不運なことに菊花賞を目指していたのだが、筋肉痛を発症してしまい菊花賞を回避せざるを得なくなった。
ジャパンカップを8着、有馬記念を7着で3歳シーズンを終えたエイシンフラッシュだがここから出口の見えない真っ暗なトンネルに入っていくのだ。
そこにはもはやダービー馬の威厳やオーラなどは全くなかったようにさえ思えた。

振るわなかった秋を挽回するのに、この春は打って付けだった。
年明けの大阪杯を3着と上々のスタートを切った。
続く天皇賞(春)はヒルノダムールの2着。
春のグランプリ宝塚記念は3着と善戦はするが勝ちきることは出来なかった。

その年の秋競馬は天皇賞(秋)が6着、ジャパンカップが8着、有馬記念が2着。
有馬記念の時点では7番人気。
すでにダービー馬の信頼は無いに等しかった。

心機一転、2012年はドバイワールドカップに参戦をした。
結果は6着。
帰国後は宝塚記念に出走するもここも6着。
秋は毎日王冠から始動するも9着。

ダービー以降これで12連敗。
もはやダービーがフロックと言われてもしょうがない成績になっていた。
もう光り輝くことはないと誰しも思っていた。

しかし、一人の男との出会いがこの馬の狂った歯車を噛み合わせ再び光り輝く舞台に降り立たせた。
その男とは…
『ミルコ・デムーロ』
イタリアが生んだ名ジョッキーを配し天皇賞(秋)に向かった。

2012年10月28日第146回天皇賞(秋)は天皇皇后両陛下ご観覧の元行われた“天覧競馬”であった。

1番人気は3歳馬のフェノーメノ。
2番人気はエアグルーヴの息子のルーラーシップ。
3番人気は3歳マイル王のカレンブラックヒル。
エイシンフラッシュは5番人気であったが上位人気馬とは水を開けられた形であった。
運命のゲートが開いた。
12番枠からスタートしたエイシンフラッシュをミルコ・デムーロは中団の内入れて脚を溜めていた。
逃げたシルポートが作り出したペースは1000m通過が57.3の驚異のハイペース。
しかし、2番手のカレンブラックヒルの位置取りを考えれば2番手以降の流れは平均的かやや遅い流れであったかもしれない。
各馬が挙って外に馬を持ち出す中、ミルコ・デムーロはエイシンフラッシュをそのままラチ沿いを走らせた。
残り200mでシルポートを捕まえたエイシンフラッシュ。
後ろからフェノーメノやルーラーシップが追いすがるが先頭は譲らなかった。
ダービー以来の勝利が天皇賞。
今回のレースもメンバー最速の上がり33.1。
この馬にはスローペースの決め手勝負があっていた。
それと、東京競馬場も合っていたのだろう。

ゴール板を過ぎガッツポーズをするミルコ・デムーロ。
ウイニングランをしメインスタンド前に帰ってきたデムーロは驚きの行動に出た。

エイシンフラッシュから降り、その場にひざまずき天皇皇后両陛下に対し最敬礼をしたのだ。
馬上からの敬礼なら見たことはあったが、下馬しての敬礼にはさすがに鳥肌がたった。
日本人よりも日本を愛していると思わせるジョッキーなのだ。

この長いトンネルを抜けるのに実に2年以上の月日が経っていた。
ダービーと言うこの上ない栄光を手にし、順風満帆な未来が待っていると思っていた。
しかし、待っていたのは闇の未来であった。
名前とは裏腹に光輝くことができたのはわずか6回。

しかし、そのうち2回は誰しもが羨むほどのスポットライトを浴びた。
それは闇の2年間を帳消しにするほど格別な勝利であった。

エイシンフラッシュとミルコ・デムーロ。
関わった数は多くないが我々ではわからない二人の絆はあるだろう。

エイシンフラッシュに一番似合う言葉。 それは…

『無事これ名馬』

である。

エイシンフラッシュ
生年月日:2007年3月27日
父:King's Best
母:ムーンレディ
戦績:27戦6勝
主な勝ち鞍:'10日本ダービー(G1) '12天皇賞(秋)(G1)
調教師:藤原英昭
騎手:M.デムーロ
馬主:平井豊光
生産者:社台ファーム

アドレナリン競馬予想とは 2016年アドレナリン競馬的中実績
うま

copyright©2013 無料の競馬予想 穴馬的中に自信アリ | アドレナリン競馬 All Rights Reserved.

上部に戻る