アグネスフライト

アグネスフライト

昭和を代表する騎手の一人に“河内洋”という騎手がいる。
「牝馬の河内」と言われており牝馬に乗せたら日本一とまで言われていた。
そして大レースをいくつも制していたのだが、たった1つだけ手の届かない栄冠があった。
それこそ、ジョッキーの憧れである“日本ダービー”なのだ。

その河内の夢を叶えた1頭の栗毛の馬がいた。
その血脈たるや河内とは切っても切れないほど縁のある血統であった。

祖母はアグネスレディー。
母はアグネスフローラ。

その息子こそ河内をダービージョッキーにした馬なのだ。

名は…

『アグネスフライト』

である。

桜花賞馬アグネスフローラとサンデーサイレンスの間に生まれたアグネスフライト。
栗東の長浜博之に入厩しデビューを待っていたのだが、気が付けば年が明けデビューは2000年2月の京都開催だった。
ここを後方から差し切り勝利収めたアグネスフライトは皐月賞を目指しトライアルの若葉ステークスに向かった。
絞りすぎたのか馬体重は-22㎏。
レースも後方から進めたのだがいいところなく12着と大敗した。
これで、皐月賞出走は叶わなくなった陣営は目標を日本ダービーに切り替えた。

仕切り直しの一戦は、皐月賞の前日に阪神で行われるオープンの若草ステークス。
中団やや後方からレースを進めて行くと、最後は持前の末脚を発揮して見事勝利。
次に選んだのは、京都で行われる京都新聞杯だった。

出遅れたアグネスフライトはそのまま最後方からレースを進めて行く。
先頭からシンガリのアグネスフライトはでは10馬身くらいの差だった。
3コーナーの内回りで河内の手が動いた。
残り600mを通過してから外から一気に前との差を詰めていく。
1番外に持ち出したアグネスフライト。
内からタップダンスシチーが先に抜け出すが、大外から上り34.5の脚で差し切り勝利。
これで文句なく日本ダービーに向かうのであった。

2000年5月28日第67回日本ダービー

快晴の東京競馬場で行われた。
1番人気は皐月賞馬のエアシャカール。
2番人気は皐月賞で2着のダイタクリーヴァ。
アグネスフライトは3番人気であった。

逃げ馬が作り出すペースは前半1000mが59.2と決して遅いペースではなかった。
エアシャカールは後方4番手に位置取り、アグネスフライトは後方2番手でエアシャカールを目標にレースを進めていた。

先に動いたのはエアシャカールだった。
大欅を前に先頭を捉えに掛かるエアシャカールと武豊。
それを見てアグネスフライトと河内洋の仕掛けを開始した。

直線残り400m地点でエアシャカールが先頭を捕まえに掛かる。
その時アグネスフライトはまだ3馬身ほど後方にいた。
残り200mでエアシャカールが満を持して先頭に立った。
外からアグネスフライトが来ていたがそのままエアシャカールが残ると思っていたが、 そのエアシャカールに栗毛の馬体が1完歩ずつ詰め寄っていく。

師弟による世紀の叩き合いは、兄弟子・河内洋が制した。
その差は僅かハナであった。

河内洋デビュー26年目での悲願達成であった。

秋は神戸新聞杯から始動したが、2着に敗れた。
その後、菊花賞へと進み1.9倍の支持を集めるがダービーで競り勝ったエアシャカールに敗れてしまった。

年明け初戦の京都記念を2着とまずまずの滑り出しを見せたのだが、その後の産経大阪杯で10着に敗れてしまった。
その後、屈腱炎を発症し長い休養生活に入った。

レースには復帰したのだが、結局ダービー以降1勝もすることが出来ずに引退したのだった。

祖母から紡いだその血脈。
河内洋にダービージョッキーの称号を与える為に生まれてきたのだろう。

アグネス3世代の恩返しだ。

アグネスフライト
生年月日:1997年3月2日
父:サンデーサイレンス
母:アグネスレディー
戦績:14戦4勝
主な勝ち鞍:'00日本ダービー(G1)
調教師:長浜博之
騎手:河内洋
馬主:渡辺孝男

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