ドバイワールドカップの2着は同レースの牝馬史上最高の成績でした
目次
トゥザヴィクトリーの基本情報
| 馬名 |
トゥザヴィクトリー |
| 生年月日 |
1996年2月22日 |
| 父 |
サンデーサイレンス |
| 母 |
フェアリードール |
| 戦績 |
21戦6勝 |
| 主な勝ち鞍 |
’01エリザベス女王杯(G1) |
| 調教師 |
池江泰郎 |
| 騎手 |
武豊 |
| 馬主 |
金子真人 |
| 生産者 |
ノーザンファーム |
サンデーサイレンス産駒として生を受け生まれながらにクラシックの期待を掛けられた馬。
しかし、その願いは叶わなかったわ。
その後、遥か遠いドバイの地で一瞬輝きを放った牝馬。
1998年の12月にデビューを迎えたトゥザヴィクトリー。見事新馬戦を勝利し2戦目は500万下の福寿草特別だったわ。
ここにはクラシック候補生の牡馬たちが出走してきており、その中で2着と健闘し力があるところは示したの。
続くつばき賞を勝ち、桜花賞トライアルのアネモネステークスへと進んだトゥザヴィクトリーは3着に入り桜花賞への権利を確保できなかったわ。
しかし運はあったの。
見事抽選に通り桜花賞出走を決めたのよ。
第59回桜花賞。トゥザヴィクトリーは5番人気での出走だったわ。
16番枠という不利な枠だったけど、果敢に2番手を確保しレースを進めていったわ。
4コーナーを手応え良く回ったトゥザヴィクトリーだったが、最後はプリモディーネ、フサイチエアデールの末脚に屈し3着となったの。
続く、第60回オークス。ここでは武豊が跨り1番人気に支持されたわ。
好位の5番手の内からレースを進めていく。
直線を向き内から絶好の手応えで伸びていく。
一旦はセーフティリードを保ち勝ったかと思われたけど、最後は大外からウメノファイバーの強襲に合い2着となってしまったわ。
秋の初戦にローズステークスを選び、1.4倍の圧倒的な人気でレースを迎えたわ。しかし、ここを4着に敗れた本番の秋華賞に向かったの。
第4回秋華賞。またもや1番人気に支持されたトゥザヴィクトリー。
いつも通りに先行したけれど、ハイペースに巻き込まれて13着と大敗を喫したわ。
その後、しばらく休養に入ったトゥザヴィクトリーは翌年の6月のエプソムカップから復帰したの。結果は5着、その後マーメイドステークスを2着として夏の札幌でのクイーンステークスに向かったわ。
単勝1.8倍に応えて見事逃げ切り勝ちよ。
実に500万した以来の勝利となり初重賞勝利を飾ったわ。
秋はエリザベス女王杯を目指し府中牝馬ステークスで復帰。ここもあっさりと逃げ切り勝ちを収めて、強いトゥザヴィクトリーを見せたのよ。
そして、念願のG1獲りへ。第25回エリザベス女王杯を2番人気で迎えたわ。
ここも果敢に逃げレースを作っていったの。
絶妙なペースで逃げたんだけど、最後はファレノプシス以下の差し脚に屈し4着になる悲願のG1勝利はお預けとなったわ。
そこから1ヶ月後の阪神牝馬特別に出走したトゥザヴィクトリーは、ここは3番手から抜けだす競馬を見せ勝利。重賞3勝目を飾ったの。
陣営がこの馬に思うことはただ一つ。「とにかくこの馬にG1を獲らせたい」という願いだけだったわ。
そこで路線を芝からダートに変更し、2月に行われるフェブラリーステークス出走を決めたの。初めてのダート挑戦と未知数な部分は多かったけど、3番人気に支持され3着と健闘。
この結果を受けてドバイワールドカップ挑戦を決めたわ。
2001年3月24日第6回ドバイワールドカップ。日本からは2頭出走しておりその内の1頭がトゥザヴィクトリーだったわ。
特に日本のファンの期待は大きいものではなかったの。
世界の並み居る牡馬を引き連れてトゥザヴィクトリーは果敢にハナに立っていったわ。首が高い走りは相変わらずだけど、気分良く走っているようには見えたわね。
直線を向いてもトゥザヴィクトリーは先頭にいたわ。
早くバテることなく走っていたわよ。
アメリカのキャプテンスティーヴに捕まっても粘り通したトゥザヴィクトリーは、2着と大健闘したわ。
牝馬としてドバイワールドカップ史上最高着順だったのよ。
健闘はしたけど、またもやG1には手が届かなかったわ。春はレースに出走することなく秋のエリザベス女王杯に直行で向かったの。
2001年11月11日第26回エリザベス女王杯。前年よりもメンバーは強くなっていたわ。
牝馬2冠馬のテイエムオーシャン。
オークス馬レディパステル。
ローズバド・ティコティコタックなどG1馬やG1で好走してきた馬が集ったわ。
ここでトゥザヴィクトリーの評価は4番人気。
やはり、海外帰りによる長期休み明けが懸念されてのものだったわね。
トゥザヴィクトリーの戦法といえば、スピードを生かした逃げか先行での競馬だったわ。見るもの全てがこのレースでも、トゥザヴィクトリーがレースを引っ張るものだと思っていたわ。
ゲートが開いて武豊はトゥザヴィクトリーをなんと中団でレースをさせたのよ。これまで1回も試みたことのないレースだったわ。
場内はどよめいたわよ。
だけど、当のトゥザヴィクトリーはエスコートしてくれている武豊に自らを委ねるように託していたわ。前が飛ばしたペースは明らかにハイペースだったの。
4コーナーまでじっと我慢させ直線ではその溜めた脚を爆発させたわ。
先に抜けたテイエムオーシャンを各馬が追いすがったの。内レディパステル、中トゥザヴィクトリー・ティコティコタック、外ローズバドと各馬が馬体を併せてゴールをしたわ。
その中で真っ先にゴール板を通過したのは『トゥザヴィクトリー』だったわ。
関わる全ての人の思いが届きトゥザヴィクトリーは遂に念願のG1制覇を成し遂げたわ。
それはまるで、淀の2200mというバージンロードを武豊がエスコートしているようにも見えたわね。パートナーのトゥザヴィクトリーをよく知る武豊だけが成せる芸当でしょうね。
晴れてG1馬になったトゥザヴィクトリーはその後ジャパンカップで14着、有馬記念で3着。
翌年もドバイワールドカップに出走したけど11着と敗れて現役を引退したわ。
その後は、繁殖牝馬となったわ。
産駒はまだG1には届いていないけど、質の高い子供達を世に送り出しG1制覇の期待もかかっているわよ。
付けられた名前とは裏腹になかなか“勝利には届かなかった”わね。だけど、共に信じたパートナーのエスコートにより何よりも欲しいものを手にしたのよ。
『武豊』と『トゥザヴィクトリー』は最高のパートナーだったのかもしれないわね。