ヴィクトワールピサ

ヴィクトワールピサ

2011年、日本を襲った未曾有の大震災。
競馬の是非が問われたこの時期に、遥か遠くドバイの地で 日本の人々に勇気と希望を与え、競馬の力を世界に知らしめた馬がいた。

これまで、手が届かなかった“勝利の山”の頂上に辿り着いた馬。

それが…

『ヴィクトワールピサ』

兄には安田記念を勝ったアサクサデンエンがいた。
父がネオユニヴァースに変わり兄とは違うタイプの馬だった。

栗東の角居厩舎に入厩したヴィクトワールピサはデビュー戦を2009年10月の京都であった。
距離は1800m。
ダントツに1番人気であったが、もう一頭の良血馬のローズキングダムに差し切られ2着とほろ苦いデビュー戦であった。
初勝利を目指し迎えた11月の未勝利戦。
ここも圧倒的な人気に応えた。
続くオープンの京都2歳ステークスも勝利し、暮れのラジオNIKKEI杯2歳ステークスに向かった。
単勝1.6倍ともはや世代屈指の能力の持ち主と誰もが認めた瞬間であった。
それだけ、ヴィクトワールピサのレース振りには死角らしい死角が見当たらなかった。
これまでの先行策とは打って変わって中団待機策に打って出たヴィクトワールピサと武豊。
直線まで追い出しを我慢し、満を持して追い出しにかかるとジリジリと前との差を詰め最後はクビ差捕らえて勝利。
初重賞勝利を飾ると共にクラシックの主役として来年を迎えるのは間違いなかった。

年が明けた2010年ヴィクトワールピサは王道路線を進むことになった。
その一発目にえらばれたのが皐月賞トライアルの弥生賞である。
これまでは、関西での競馬がメインであったヴィクトワールピサにとってはクラシック制覇に向けてはこの上ないレースであった。
ここでも単勝オッズは1.7倍。
これで、デビューから5戦連続単勝1倍台である。

最内枠からスタートしたヴィクトワールピサ鞍上の武豊は好位やや後ろのインで我慢させる。
久々の分少し行きたがる素振りは見せていた。
前半1000mが63.6の超が付くほどのスローペースであった。
直線を向くと馬群がひと塊りになっており、最内にいたヴィクトワールピサは前が壁になってしまった。
それでも武豊は冷静であった。
先に抜け出したエイシンアポロンとダイワバーバリアンの間にヴィクトワールピサを突っ込ませた。
坂を登り半馬身エイシンアポロンを捕らえて勝利。
少しのアクシデントもアクシデントと感じさせない、鞍上の手腕とそれに応えた馬の能力にただ脱帽するだけであった。
堂々と本番に向かうのであった。

2010年4月18日第70回皐月賞。
この皐月賞。
主戦の武豊が落馬したことにより岩田康誠に乗り替わりとなった。
これが吉と出るか凶と出るかが見ものだった。
ヴィクトワールピサにとっての最大のライバルはスプリングステークス組であった。
新馬戦で苦杯を舐めた2歳王者のローズキングダム。
そのチャンピオンを破ってトライラルを制したアリゼオ。
この2頭がヴィクトワールピサに次いで人気になったのだった。

13番枠からスタートしたヴィクトワールピサは中団につけ内に入れた。
道中行きたがるのをなんとかなだめながら進んでいく。
最後の直線で鞍上の岩田は進路を内に取った。
それも迷いは感じられなかった。
最内から前を捕まえヒルノダムールとエイシンフラッシュが猛追してくるが凌ぎきりまず1冠を制した。

もちろん次に向かうのは2冠を目指し、競馬の祭典の日本ダービーだ。
皐月賞とは一転して好位からレースを進めていった。
このレースはスローペースになり上がり勝負の競馬になった。
切れる脚のないヴィクトワールピサにとっては厳しい展開となり3着が精一杯だった。

その後、秋は菊花賞には向かわずにフランスのロンシャン競馬場へと旅立った。
目指すは凱旋門賞制覇だけであった。
前哨戦のニエル賞は4着で、いざ本番の凱旋門賞。
やはり、海外の壁は厚く7着であった。

帰国後ジャパンカップに出走した。
海外帰りなどで人気はなかったが3着と善戦。

この年の最後に選んだのは有馬記念。
このレースの出走、ある男との出会いがこの先の運命までも決めてしまうのである。

2010年12月26日第55回有馬記念。
1番人気は女王ブエナビスタ。
ヴィクトワールピサはブエナビスタに次ぐ2番人気であった。
鞍上には、父ネオユニヴァースで2003年に日本ダービーを制したミルコ・デムーロが跨った。
1番枠からスタートしたヴィクトワールピサは好位の4番手でレースを進めていく。
ペースが上がることはなく先頭からしんがりまでの差はあまりなかった。
4コーナー手前で早めに先頭に並びかけ直線を向いた時にはもう先頭にたっていた。
坂を登りきり大外から女王ブエナビスタが飛んできた。
しかし、最後はハナ差制して勝利。
3歳馬唯一のG12勝馬でこの年の最優秀3歳牡馬に選ばれた。

そして、歴史的偉業を達成し大きく傷ついた日本のファンに勇気と希望を与える2011年が幕を開けるのである。

ドバイワールドカップに選出されたヴィクトワールピサは参戦決め、その前哨戦は2月に中山競馬場で 行われる中山記念を圧倒的1番人気で迎え危なげなく勝利。
前哨戦としては文句なしのレースであったし、本番に希望が膨らむ勝利であった。

しかし、その中山記念から数週間後の3月11日。
東北地方を襲う歴史的な大震災が起き、その被害たるや計り知れないものであった。
その甚大なる被害から遠征さえ危ぶまれるものであったが、日本は遠征を決行し 人々に勇気を与えようという計らいがあった。
そして、迎えた特別なドバイワールドカップ。

スタート後、ヴィクトワールピサは行き脚が付かず最後方からの競馬を余儀なくされた。
この出遅れは、巻き返しようのない致命傷にも思えた。
日本から一緒に参戦したトランセンドが逃げを打つ中、 向こう正面で鞍上のミルコ・デムーロはヴィクトワールピサを一気に2番手まで押し上げた。
一見、無謀とも思える戦法であった。
この馬場であれだけの脚を使えば終いは止まると誰もが思った。

しかし、直線に向いてもヴィクトワールピサの手応えは良かった。
逃げるトランセンドを捕らえるとそのまま2頭で叩きあった。
後ろから海外の強豪馬を迫ってきていたのだが、日本馬の脚は止まることはなかった。

残り100mを切り見ている全ての人が言ったであろう

「頑張れ。そのまま。頑張れ」

この、思いは遥か遠いドバイに確実に届いていた。
残り50mでヴィクトワールピサが前に出た。
トランセンドも粘った。

1着はヴィクトワールピサ。
2着にトランセンド。
日本馬のワンツーというこの上ない結果をもたらした。

信じ追い続けた結果、心も体もボロボロだった日本に僅かな光を灯した。
決して大きな光ではないかもしれない。
この小さな光が集まり大きくなり人々は前を向いて進んで行く決心をしただろう。

全ての人にこの思いは伝わるものではない。
ただ、日本を前に進めた要因の一つであるのは間違いない。

生きる気力を失い、全ての人が絶望に苛まられたこの時に

“信じ続けること”
“折れない心を持つこと”

この2つをヴィクトワールピサは教えてくれたであろう。
それは人として生き、誰もが心の奥底に眠る物を蘇らせてくれた。
そして、競馬の持つ違った力を示してくれたのが

『ヴィクトワールピサ』であろう。

ヴィクトワールピサ
生年月日:2007年3月31日
父:ネオユニヴァース
母:ホワイトウォーターアフェア
戦績:15戦8勝
主な勝ち鞍:'10皐月賞(G1) '10有馬記念(G1) '11ドバイワールドカップ(G1)
調教師:角居勝彦
騎手:M.デムーロ
馬主:市川義美
生産者:社台ファーム

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