スペシャルウィーク

スペシャルウィーク

デビューからタイトルを欲しいままに手にしていた武豊。
しかし、一つだけ未だに届かないタイトルがあった。
それは、“日本ダービー”
気が付けばデビューから10年が経っていた。

そんな、武豊に念願のタイトルをもたらす馬が現れた。
10年目にして栄光を掴んだかけがえのない相棒

それが

『スペシャルウィーク』

スペシャルウィークの母キャンペンガールは、日本有数の名牝系統として有名なシラオキの血筋である。
しかし、キャンペンガールはサンデーサイレンスとの間に子供を宿していたころ何度も腹痛を起こし、明らかに弱っていた。
そして、その黒鹿毛の牡馬を出産した数日後に亡くなってしまった。
その代償で生まれたのがスペシャルウィークであった。

母を亡くしてしまったスペシャルウィークは、農耕用の乳母に育てられていた。
生まれながらに母親がいないと言う悲しみに苛まれたスペシャルウィークを、牧場の人たちが手塩にかけて育てたのだ。
故に人を恐れることなく育っていった。

無事、競走馬としてデビューを迎えられるようになったスペシャルウィークは、栗東の白井寿昭厩舎に入厩をした。
11月の阪神でデビュー戦を迎えたスペシャルウィークは、単勝オッズ1.4倍の圧倒的支持を受けた。
大外枠から飛び出し好位に取り付くと特に折り合いを欠くところなどを見せることなく直線に入っていく。
直線で追い出すと、独特な大きなストライドで前との差を詰めていき2着に軽く2馬身の差を付けて快勝。
将来を期待させる走りであった。

2戦目は500万下の白梅賞。
確勝と思われていたが人気薄の馬に足元をすくわれ2着。
ここ勝ってクラシックロードというプランに暗雲が立ち込めた

3戦目は各上挑戦ながらなんとかきさらぎ賞に出走することが出来た。
中団からレースを進めて行き、直線では馬場の真ん中を軽々伸びてきて1.7倍の人気に応え重賞初勝利。
これで、クラシックへの道は開けた。
あとは、待っているライバル達との戦いだけであった。

きさらぎ賞を勝ったスペシャルウィークは王道路線の皐月賞トライアル弥生賞へ東上してきた。

迎え撃つライバル達も強力だった。
1番人気は世界的な名血をもつ、東京スポーツ杯勝ちのキングヘイロー。
スペシャルウィークは2番人気であった。
3番人気は2戦2勝の芦毛の逃げ馬のセイウンスカイ。
と3強の争いであった。

まずはセイウンスカイがハナに立ちレースを引っ張て行く。
中団の内にキングヘイロー。
その外にスペシャルウィークと言った隊列で流れて行った。
残り600mにかかったところでセイウンスカイが後続を離しにかかる。
4馬身ほどのリードを持ってセイウンスカイが坂を上った。
完全にセイウンスカイの勝ちパターンを外からスペシャルウィークが豪快に差し切り勝利。
これでクラシックの主役に躍り出たのだった。

1998年4月19日牡馬クラシック第一関門の皐月賞が中山競馬場で行われた。
人気は弥生賞とは変わり、スペシャルウィーク・セイウンスカイ・キングヘイローの順であった。
中でもスペシャルウィークは1.8倍と頭一つ抜けた人気であった。

スペシャルウィークにはいくつかの懸念材料があった。
1つ目は大外18番枠からのスタートであること。
この年の中山競馬場は内ラチを3メートルほど外にずらしており、内側の芝の状態が抜群であった。
2つ目は弥生賞で負かしたセイウンスカイの鞍上が横山典弘に変わったことだった。

この懸念材料が見事結果に反映してしまうのである。

スタートし、逃げると思ったセイウンスカイはまさかの2番手。
そのセイウンスカイを見る形でキングヘイロー。
スペシャルウィークは外枠が災いし後方の位置取りとなった。

3コーナーを回りセイウンスカイが徐々に前に迫っていく。
それを目掛けてキングヘイローも追い出す。
スペシャルウィークは大外に持ち出した。
4コーナーで先頭に立ったセイウンスカイに迫るが2馬身差のところで先頭はゴールをした。
スペシャルウィークは枠に泣かされ、横山典弘にしてやられた形のなった。

皐月賞は負けてしまったが本番はあくまでもダービーであった。

1998年6月7日第65回日本ダービー。
何がなんでも欲しいのは勝利だけであった。
天才の名を欲しいままにした男に遂に栄冠が訪れるのである。

皐月賞では後塵を拝したがファンはスペシャルウィークの強さを信じていた。
ここでも1番人気。
紛れの少ない東京競馬場なら勝てると思っていた。

午後3時30分。
運命のスタートが切られた。

場内はどよめいた。
理由はキングヘイローが逃げてしまったのだ。

スペシャルウィークと武豊はちょうど中団の内を進んでいた。
先頭からシンガリまでが固まったまま直線に向いた。
2番手からセイウンスカイが抜け出す。

その時だった、セイウンスカイの横から赤い帽子が瞬く間に他馬を置き去った。
スペシャルウィークであった。

残り200mを過ぎ勝ちはほぼ決まった。
そして、最後は5馬身差を付けての勝利。
武豊が待ちに待ったダービーの栄光を掴みとった瞬間だった。

晴れてダービー馬となったスペシャルウィークは秋にセイウンスカイとの3度目の戦いで決着を付けるために休みに入り、 秋は京都新聞杯から始動し、人気に応えてキッチリ勝利した。

セイウンスカイと雌雄を決するべく菊花賞に向かった。

1998年11月8日第59回菊花賞。
人気はスペシャルウィークとセイウンスカイの2強対決であった。

やはりセイウンスカイがハナに立ちペースを作っていく。
1000m通過が59.6と決して遅いペースではなかった。
スペシャルウィークはいつも通り中団で脚を溜めていた。
先頭から差があったので飛ばしていると思われたが、向こう正面で横山典弘は息を入れた。
これが勝負の分かれ目であった。
残り800mから再びペースを上げた。
スペシャルウィークは坂を下り追いすがるが差は詰まる事はなかった。
そのままスペシャルウィークは2着でゴール。
勝ったセイウンスカイのタイムは3:03.2の当時のレコードであった。
またもや横山典弘にしてやれてしまった。

次走にスペシャルウィーク陣営が選んだのはジャパンカップ。
しかし、ここでも同年代のライバルに負けてしまう。
そうエルコンドルパサーだ。
結果はエルコンドルパサーの3着。

この年の3歳馬は錚々たるメンバーであった。

1999年。 陣営は年内限りでの引退を発表した。
そして、凱旋門賞挑戦のプランも持ち上がった。
しかし、ここでも同年代の栗毛の怪物が立ちはだかるのであった。

年明け初戦のアメリカジョッキークラブカップと阪神大賞典を連勝して挑んだ第119回天皇賞(春)。
これまで差し脚に徹していたスペシャルウィークが新境地を開拓し、好位からの競馬に徹するのだ。

好スタートから逃げるセイウンスカイを終始3番手に付けマーク。
もう一頭のライバルのメジロブライトは後方からだった。
最後の直線でセイウンスカイに並びかけると、最後は後方から追い込んできたメジロブライトを凌いでゴール。
見事春の盾を手に入れた。

そして、凱旋門賞への試金石の第40回宝塚記念。
当然、ファンはスペシャルウィークが勝つと思っていた。
その思いが単勝オッズ1.5倍に現れていた。

しかし、それをよしとしない馬が一頭いた。
栗毛の怪物グラスワンダーだ。

位置取りはスペシャルウィークが前、グラスワンダーが後ろの展開だった。
相手を決めたときの的場均は実に怖かった。
先にスペシャルウィークが動く。
それに合わせてグラスワンダーも動く。

直線は一騎打ちになると思った。
しかし、栗毛の怪物にあっという間に置き去りにされ3馬身差を付けられての敗北だった。
まさに完敗であり、プライドをへし折られた形となった。
この敗戦で凱旋門賞挑戦は撤回され秋は国内のレースに専念することが決まった。

秋の初戦は京都大賞典。
馬体重は今までで1番重い486㎏。
それに調教でも動かなくなっていた。
結果は7着と初めて掲示板を外した。
とても、あと1ヶ月で調子が戻るとは思えなかった。
それぐらいの敗戦であった。

1999年10月31日第120回天皇賞(秋)当日の東京競馬場。
スペシャルウィークの敗因に馬体重を上げた調教師の白井は、この当日の朝にダートコースでスペシャルウィークに運動をさせた。
最後の切り札であった。
ダービーくらいの馬体重に近づけたいと言うのが白井の狙いだった。
これで負けたら示しがつかないが、白井は己の信念にかけたのだ。

パドックに出てきたスペシャルウィークの馬体重は470㎏。
前走から-16㎏。
数字は整った。
後は、馬が走るかどうかだけだった。

これまで全てのレースで2番人気以内だったスペシャルウィークが初めて4番人気と低評価を受ける事になった。
やはり、見る側も不安があった。

午後3時45分。
スペシャルウィークのダービー馬としての意地が試されるゲートが開いた。

春に見せていた好位での競馬では無く本来のスペシャルウィークの競馬である差しに徹した。
位置取りは後方から4・5番手あたりを進んでいく。

直線を向き武豊はスペシャルウィークを大外に出し左ムチを一発叩いた。
その武豊のアクションにダービー馬の闘志に火が付いた。
エアジハード、ステイゴールドが先に抜けたところを外から一気に差し切ったのだ。
上りはメンバー最速。
白井の狙いは当たった。
史上3頭目の天皇賞・春秋連覇達成。
これで完全復活したスペシャルウィークはジャパンカップに出走。

ここには、凱旋門賞でエルコンドルパサーを破ったモンジューが参戦を表明してきた。
スペシャルウィークにとっては、己の力を知らしめるには絶好の機会であった。

1999年11月28日第19回ジャパンカップ。
スタートしポジションはいつも通りの中団待機。
そのすぐ後方に凱旋門賞馬のモンジューがいた。
レースは淀みなく流れて行き4コーナーで外に持ち出し、坂を上ってから早々先頭に躍り出た。
そこから脚色は衰えることなく2番手以下を1馬身半のリードを保ってゴール。
見事、天皇賞・ジャパンカップと連勝を飾った。
未だ誰も達成していない秋・古馬G13連勝まであと一つ。
その最後の有馬記念には、春に苦杯を舐めた馬との再戦が待っていた。
文字通りのリベンジの戦いであった。

スペシャルウィークにとってはこれが現役最後のレース。
1999年12月26日第44回有馬記念。
グラスワンダーとの勝負もこれで最後。
スペシャルウィークと武豊は是が非でもグラスワンダーに勝ちたかった。

武豊のイメージは既に出来上がっていた。
ゲートが開き、ポジションはグラスワンダーが前でスペシャルウィークが後ろという宝塚記念とは逆に位置取りになった。
確固たる逃げ馬がいない中ペースはスローで落ち着いた。
4コーナーを前にグラスワンダーが外から先に動き出す。
そして、直線を向いてスペシャルウィークはグラスワンダーの外に馬を出して追い出しを開始した。
坂を上りグラスワンダーが出た所を外から猛然と黒鹿毛の馬体が追いすがる。
ゴール板では2頭が鼻面を並べてゴール。
どっちが勝ったかなんて分からなかった。
「同着でもいいんじゃないか…」
そんな声さえ聞こえるようなゴールだった。

グラスワンダーの的場均は手応えがなかったのか先に検量室に引き上げてきた。
一方、スペシャルウィークと武豊は勝ちを確信したのだろう。
ウイニングランをしてスタンド前に戻ってきた。

ところが…

写真判定の結果スペシャルウィークは2着。
その差は僅か4㎝だった。

レース後に武豊は「競馬に勝って勝負に負けた」と言った。
これでグラスワンダーとの勝負は終わってしまった。

種牡馬となったスペシャルウィークはシーザリオ、ブエナビスタと言った名牝を世の残した。
牡馬には恵まれずに種馬として血を残せる馬は数が少ないがその血は確実に受け継がれている。

1990年代最後に現れた稀代のスーパーホース。
天才を背にし手に入れたタイトルは4つ。
その中の2つは天才に初めての勝利をもたらした。

天才の騎手人生の中で切っても切る事が出来ない存在。

それが、

『スペシャルウィーク』

なのだ。

スペシャルウィーク
生年月日:1995年5月2日
父:サンデーサイレンス
母:キャンペンガール
戦績:17戦10勝
主な勝ち鞍:'98日本ダービー(G1) '99天皇賞(春)(秋)(G1) '99ジャパンカップ(G1)
調教師:白井寿昭
騎手:武豊
馬主:臼田浩義
生産者:日高大洋牧場

アドレナリン競馬予想とは 2016年アドレナリン競馬的中実績
うま

copyright©2013 無料の競馬予想 穴馬的中に自信アリ | アドレナリン競馬 All Rights Reserved.

上部に戻る