サイレンススズカ

サイレンススズカ

1998年11月1日(日)東京競馬場で第118回天皇賞(秋)が行われた。
そこで見た光景は信じ難い出来事だった。
1頭の栗毛の馬が急に走るのを止めた。
そしてその馬がターフに帰ってくることは二度となかった。

サラブレッドとは速さだけを求めて生産がされている。
とにかく速い事が使命であり宿命である。
そして、競馬に於いて逃げて勝つのが1番強い勝ち方である。
その速さに誰もついて来ることが出来ないのだから。

自身の体に備わったサラブレッドの人知を超えたスピードを武器にただひたすらスタートからゴールまでを先頭で走る続けた快速馬。
何かに怯えて逃げていたわけでは無い。
自分のスピードを世に知らしめるために逃げていたのだ。

それが『サイレンススズカ』なのだ。

サイレンススズカの母はアメリカ産馬のワキアという馬である。
このワキアが日本に輸入され1993年の種付けの際トニービンの名前が最初に上がっていたのだが、 満口の為その代わりとして当時駆け出しだったサンデーサイレンスが選ばれた。
そして、誕生したのがサイレンススズカである。

4歳になりサイレンススズカは栗東の橋田満厩舎に入厩した。
デビューに向けて調教を行っているとオープン馬に先着したり、信じられない時計を坂路で出したりと大器の片鱗を既に見せていた。
瞬く間にトレセン内にはサイレンススズカの噂は広がって行った。

そして、1997年2月1日の京都競馬場でデビューしたサイレンススズカの単勝オッズは1.3倍と圧倒的なものだった。
が、レースぶりはさらり周囲の人を驚かせるものであった。
1番枠から好スタートを切ったサイレンススズカはそのまま持ち前のスピードを武器にあっさりとハナに立った。
そのスピードは直線を向いても衰える事は無くさらに後続との差を広げ7馬身差のパフォーマンスで見事デビュー戦を飾った。
この勝利で“遅れてきたクラシック候補”とまで呼ばれるようになった。

次走は、皐月賞トライアルの弥生賞。
まだ1戦しかしていない馬をファンは2番人気の推したが、サイレンススズカはゲートをくぐってしまったのだ。
その上、外枠発走となってしまい、いざスターを切ったら出遅れてしまった。
にも関わらずサイレンススズカはすぐに馬群に取り付き、 最後のコーナーでは3番手まで進出をしあわや勝ってしまうのではないかと思うほどの手ごたえであったが、さすがに最後は力尽き敗れた。
これで、皐月賞への道は絶たれた。
陣営は目標をダービーに切り替えた。

最後のダービートライアルのプリンシパルステークスに出走したサイレンススズカだが、今までとは一変した作戦に打って出た。
大目標のダービーを見据えてだろうか、スタートから逃げるのではなく抑えて2番手からレースを進めたのだ。
最後の直線を手ごたえ良く伸びてくるとマチカネフクキタルをクビ差抑えて勝利し、見事ダービーへの切符を掴んだ。

が、その勝ち方がダービーでちぐはぐな結果を招きその後のこの馬の運命を決めるのである。

遅れてきたクラシック候補として注目されていたサイレンススズカは何とかダービーに間に合った。
ゲートが開き皐月賞馬のサニーブライアンが真っ先に逃げた。
馬番でいえばサイレンススズカの方がハナに立つには有利だったが、鞍上は2・3番手でレースを進める事を選んだ。
その結果、サイレンススズカはひどく折り合いを欠いてしまったのだ…。
結果は、サニーブライアンの逃げ切り二冠達成。
一方のサイレンススズカは9着に敗れた。

消極的な競馬がこの結果を招いてしまったのだった。

夏を越し秋になったサイレンススズカが初戦に選んだレースは、菊花賞トライアルの神戸新聞杯。
このレースからもう己の作戦には迷いは無かった。
とにかく逃げる。
と言うよりは、先天的に他馬より脚が速かったので必然的にハナに立たざるを得なかったのだ。
マイペースで逃げて直線を向いても楽勝と思われたその時、鞍上の上村洋行は手綱を緩めた。
気付いて再び追い出しにかかるが時すでに遅し。
外からマチカネフクキタルに差されて2着になり、二度と上村洋行がサイレンススズカに跨る事は無かった。

その後は、距離適性を考えて天皇賞(秋)、マイルチャンピオンシップと出走するが6着、15着と負けた。
まだ、自分のスピードをコントロールする事が出来なかったのだ。

この年の最後に香港国際カップ(当時G2)が選ばれ、このレースで初めて天才・武豊が跨った。
結果は惜しくも5着であった。
しかし、この出会いこそがサイレンススズカの運命を180℃変え、大逃げと言うスタイルを確立していくのである。
そして、最後には伝説となるのであった…。

1998年最初のレースは東京のオープンのバレンタインステークス。
大外からスンナリハナに立つとスピードに任せて進んで、1000m通過が57.8の明らかなハイペースであった。
そんな暴走ペースにも関わらず2着に4馬身差をつけ勝利。
他馬にとっては暴走ペースでもサイレンススズカにとっては自分のペースであったのだ。

その後、中山記念と小倉大賞典と重賞を連勝して挑んだ宝塚記念の前哨戦の金鯱賞。
中京競馬場でサイレンススズカは持てる力を存分に発揮し見ている人を釘付けにしたのであった。

好スタートを切ると我先にと先頭に躍り出たサイレンススズカ。
1コーナーを回ってから徐々にペースを上げていき1000m通過は58.1。
並の馬ならコーナーで潰れるペースだ。
しかし、先頭のサイレンススズカからシンガリまでは約30馬身くらいの差が付いていた。
後方の馬たちは手綱をしごいても前との差は詰まらない。
サイレンススズカが直線を向いたころにはまだ10馬身近くの差があった。
後続は全く追いつくことが出来ずにサイレンススズカの大楽勝。
タイムも当時のレコードの1:57.9であった。

もう全ての人が確信をした。
この馬のスピードには誰も付いて行けない。
寧ろ、付いて行ったら自爆すると。

もはや、今のサイレンススズカを負かす術など存在しなかった。

ここまで4連勝し春のグランプリ宝塚記念へと進んだサイレンススズカ。
鞍上は、武豊がエアグルーヴに乗るため南井克巳を迎えた。
単勝2.8倍。
乗り替わりも影響しただろうが絶対的な信頼はまだなかった。

大外枠の13番からスタートを切ったサイレンススズカはいつも通りハナに立つ。
しかし、今までのような大逃げではなく後続を引き連れて展開となった。
それでも1000m通過は58.6とやはり速いペースであった。
途中から後続に差を付けて、直線では他馬の仕掛けを待って追い出しそのままゴール。
遂に念願のG1のタイトルを手にしたのであった。

サイレンススズカと言う馬は厩舎では旋回癖があったと言われている。
それも、ずっと左に回っていたようで。
だからなのかは分からないがサイレンススズカは左回りでは異常なほどのパフォーマンスを発揮していたような気がする。
そして、主戦の武豊はサイレンススズカの競馬をこう評した 『逃げて差す』

秋になりサイレンススズカは天皇賞(秋)へのステップとして毎日王冠を選んだ。
このレースには2頭の無敗の外国馬のグラスワンダーとエルコンドルパサーが参戦をし、
G2にも関わらず12万人の人が集まった“伝説のG2”として今なお語り継がれているレースである。

2番枠からスタートすると、ここでも大逃げは打たずにレースを進める。
それでも1000m通過は57.7の相変わらずのハイペースである。

エルコンドルパサーもグラスワンダーも相手はサイレンススズカ一本に絞った位置取り。
サイレンススズカが直線に向くと、グラスワンダーとエルコンドルパサーが追いすがる。
骨折明けの分かグラスワンダーが早々に脱落をするが、エルコンドルパサーはサイレンススズカに付いていく。
しかし、差は詰まらない。
サイレンススズカは59㎏の斤量を背負っているにも関わらず翌年に世界を相手にする馬を寄せ付ける事は無かった。
これで6連勝。
もはや天皇賞(秋)への死角など重箱の隅を突いても見つかるものではなかった。

ただ、少しづつサイレンススズカには最期が近づいていた。

1998年11月1日(日)東京競馬場で第118回天皇賞(秋)(G1)が開催された。

逃げ馬にとっては絶好の1枠1番。
これで負けるとは思えなかった。

最内からスタートを切ったら後は逃げるだけ。
1000mを57.4のハイペースではあるが、もはやこの馬にハイペースなど存在しなかった。
これがサイレンススズカペースなのだから。
先頭からシンガリまではもはやとんでもない差になっていた。

一体どんなタイムでゴールをするのだろう。
見ている方はもはやそれしか関心が無かった。

軽快に気分良く走っていたサイレンススズカが大欅を過ぎた後だった…

バランスを崩し武豊が手綱を引いた。
一目で故障発生と分かるアクションだった。
そのまま外に行ったサイレンススズカだが、鞍上の武豊を馬上から落とすことはしなかった。
武豊は下馬をし馬に付き添っていた。
必死に立っているがもがいているサイレンススズカ。

『左前脚の手根骨粉砕骨折』

これがサイレンススズカに下った症状だった。

結果は安楽死。
生きる事は許されなかった。

速さの代償と言うには余りにも残酷すぎる結末であった。

このサイレンススズカの死に思う事

それは、

『競馬に絶対はない』だ。

サイレンススズカ
生年月日:1994年5月1日-1998年11月1日
父:サンデーサイレンス
母:ワキア
戦績:16戦9勝(うち海外1戦0勝)
主な勝ち鞍:'98宝塚記念(G1)
調教師:橋田満
騎手:武豊
馬主:永井啓弐
生産者:稲原牧場

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