メジロマックイーン

メジロマックイーン

日本が誇るオーナーブリーダーに『メジロ牧場』があった。
このメジロ牧場と言えば、天皇盾にこだわりを持ち生産を行っていた。
メジロアサマが1970年の天皇賞(秋)を勝ち、その息子のメジロティターン1978年の天皇賞(秋)を勝利。
そちらも3200mの天皇賞を勝った日本が誇る自慢のステイヤー血統だった。

そして、親子3代に渡る天皇賞制覇を成し遂げることとなる芦毛の馬が1987年に生まれた。
叔父はメジロアサマ。
父はメジロティターン。
生まれながらに天皇賞を意識させられた血統。

その馬の名は…

『メジロマックイーン』

メジロマックイーンの同期にメジロライアンというクラシックで華々しく活躍した馬がいた。
マックイーンはこの同期の背中を追うように徐々に力を付けて行くのであった。

デビュー戦は1990年2月の阪神開催。
ダート1700mで初陣を飾った。

その後、3戦はなかなか勝ちきれず足踏みをしていた。
そして、9月に函館で行われた500万下の木古内特別で久々の勝利を挙げ、続く900万下の大沼ステークスを勝利。
菊花賞出走を目指し1500万下の嵐山ステークスに出走したのだが、ここを2着に敗れてしまい菊花賞出走に黄色信号が灯った。
しかし、回避馬が出た事によりなんとか出走にこぎつけた。

1990年11月4日第51回菊花賞。
メジロマックイーンは条件馬の身にも関わらず4番人気の評価であった。
1番人気はメジロの同期のメジロライアンであった。
2番枠からスタートしたメジロマックイーンは1週目は5番手でレースを進めて行った。
ライバルと目されていたメジロライアンは中団からレースを進めていった。
2週目の坂の登りから下りにかけてメジロマックイーンは2番手まで押し上げた。
そして、そのまま直線に向いた。
早々と先頭に立ったメジロマックイーン。
内からホワイトストーンが、外からメジロライアンが猛追をしてくるがマックイーンが先頭でゴール。
メジロ対決はマックイーンに軍配が上がった。

この勝利がマックイーン快進撃の始まりであった。

年が明け1991年初戦には阪神大賞典が選ばれ、このレースから武豊が手綱を取った。
単勝支持1.2倍に応えて危なげく勝利し当初の目標通り天皇賞(春)に向かう事が決まった。

1991年4月28日第103回天皇賞(春)。
戦前の予想ではマックイーン、ライアン、ホワイトストーンの3強と言われていた。
しかし、ココでも単勝1倍台のダントツの支持を受けたマックイーン。
もはやこの距離での敗北など考えられなかった。
15番枠からスタートしたマックイーンはいつもよりは後ろ目のポジションの7番手くらいでレースを進めて行く。
2週目の坂を上り下りを利用して少しづつポジションを上げて行き3番手で直線を向くと、そのまま後続を離し見事人気に応えて勝利。

このマックイーンの勝利はただの勝利を意味するだけでなく、親子3代に渡る天皇賞制覇の前人未到の記録達成の瞬間であった。
そして、この天皇賞の勝利こそメジログループの作り上げた、北野豊吉の悲願でもあったのだ。
口取り写真で鞍上の武豊は豊吉の写真を馬上で掲げたのだった。

王道路線を歩んでいるメジロマックイーンが次に出走するのは春のグランプリの宝塚記念。
ここでも3強の様相を呈してはいたが、マックイーンが単勝1.4倍の圧倒的人気であった。
レースではこれまで差し脚に徹していたメジロライアンが先行策を取り、最後の直線でマックイーンもライアンを追うが届くことはなかった。

休養明けの初戦には京都大賞典になり難なく勝利を収めた。
そして、春秋天皇賞連覇を目指していざ東上。
秋の天皇賞へと駒を進めた。

1991年10月27日第104回天皇賞(秋)。
この時誰もレース後の結末など知る由もなかった…

マックイーンは東京の2000mでは比較的不利とされている7枠13番に入った。
この枠こそがこのレースに於いてのマックイーンの結果を左右することになるのだ。

スタート後すぐ内に進路を取りに行った武豊。
そのまま3番手からレースを進め行く。
しかし、最初の2コーナーを曲がった辺りで後方の馬群がばらけていた。

それでもマックイーンはいつもの通り先行して、
最後の直線を向いて追い出すと内にいたプレクラスニーを横目に見てそのまま6馬身ほどの着差を広げてゴール。
タマモクロス以来の春秋天皇賞制覇を成し遂げた。

はずだった…

電光掲示板に灯るのは審議の文字。
対象は何を隠そうメジロマックイーンであった。
スタート後に内側に斜行をし他馬の進路を塞いだという理由での失格降着と言う制裁が下された。
G1競走での1着入線馬が降着で失格になると言うのは異例中の異例であった。

これにより春秋天皇賞制覇は幻となってしまった。

この悔しさを晴らすべくマックイーンはジャパンカップへと向かった。
しかし、世界の壁は厚くマックイーンを以てしてもこじ開ける事は出来なかった。
日本馬再先着を果たすも4着が精一杯だった。

そして、マックイーンは有馬記念へと駒を進めた。
既にマックイーンの人気は不動のものになっていた。
国内でマックイーンが負ける姿など想像も出来なかった。
いつもよりは後方の位置からレースを進めて行くマックイーン。
直線で先に行く馬を追いかけ勝ちパターンに持ち込んだのだが最内から14番人気のダイユウサクが抜け出し勝利。
まさかの馬の勝利に会場はどよめいた。
少しづつマックイーンの中での歯車が狂い始めていた。

1992年も現役続行が決まったマックイーン
目指すは春の天皇賞連覇ただ一つ。
その為の前哨戦として阪神大賞典が選ばれここを難なく勝利し、天皇賞へと駒を進めた。

しかし、この年の天皇賞は昨年と大きく様相が変わっていたのであった。
マックイーンの最大のライバルとして、7冠馬の子で無敗のダービー馬のトウカイテイオーとの初対決でもあった。

人気ではトウカイテイオーが1.5倍、メジロマックイーンは2.2倍とやや水を開けられる形となった。

1992年4月26日第105回天皇賞(春)。
マックイーンの2連覇か?
それとも、無敗でダービーを制した意地か?
15時40分に運命のゲートが開いた。

マックイーンはいつもの通り好位の4番手からレースを進めて行く。
一方トウカイテイオーは中団からマックイーンを見る形でレースをお互いに進めていた。

残り800mでトウカイテイオーはマックイーン目掛けて上がっていく。
そのマックイーンは早々と先頭に立ちそのまま2頭による一騎打ちが見られると思っていた

が…

マックイーンはいつもの通りの力強い脚で直線も伸びを見せる。
一方トウカイテイオーはなかなか伸びる事が出来ない。
終わってみればマックイーンの独断馬によるレースとなった。
これで春の天皇賞連覇達成。

一方のトウカイテイオーは5着に入るのがやっとであった。
その後、宝塚記念を目指していたメジロマックイーンであったが骨折が判明し長い休養を余儀なくされてしまった。

長い休養をしたメジロマックイーンは大阪杯から始動し、ここを快勝。
史上初の天皇賞3連覇を目指し庭とも言うべく淀の3200mに向かった。

1993年4月25日第107回天皇賞(春)。
日本競馬史上初の同一G13連覇という記録に挑むメジロマックイーンをファンは当然の如く1番人気でターフに迎えた。
そのオッズは1.6倍。
誰しもその記録達成を疑わなかった。

しかし、背後には黒い影が迫っていた…

スタート切ったメジロマックイーンは、4番手でレースを進めて行くがこの頃のマックイーンは昔に比べて落ち着きがなくなってきており 武豊曰く「今のマックイーンには3200は長すぎる」と言われるほど年齢を重ねるごとに落ち着きが無くなってきていたのだ。
1週目のメインスタンドでは少し引っ掛かっている素振りを見せた。

マックイーンのそのすぐ内にはマックイーンの夢を打ち砕く黒い影がいた。
坂の登りで動き出すメジロマックイーン。
それも待ってましたとばかりにマックイーンに迫る黒い影。

マックイーンが先頭で4コーナーを回り直線に向くとその外にいた黒い影がマックイーンを置き去りにして1着でゴール板を駆け抜けた。
マックイーンはその黒い影から2馬身半遅れて2着となった。

この黒い影。

何を隠そうミホノブルボンの3冠とマックイーンの天皇賞3連覇を阻んだ馬。
その馬は“ライスシャワー”だ。

続く宝塚記念では勝利を収め昨年の無念を晴らした。
これで4年連続のG1制覇となった。

秋は昨年の無念を晴らすためにどうしても舞台に立たなくてはなかった。
その前哨戦として京都大賞典がえらばれ、ここを勝利。
勝ちタイムは2:22.7の当時のレコードで圧勝し、だれもがこの先のマックイーンの最後の飛躍を確信していた。
この勝利はJRA史上初の獲得賞金10億円突破という記録月でもあった。

しかし、全てが上手くいくわけではなかった。
天皇賞(秋)で昨年の雪辱を晴らすはずだったのに、レースの数日前に繋靭帯炎を発症。
そのまま、秋のG1で走る事なくターフを去ったのだ。

その翌年にメジロマックイーンはJRAの殿堂馬に選出されたのだ。

父として期待されていたメジロマックイーンだが思うような成績を残すことが出来ずに2006年にこの世を去った。

父親としてその血を繋ぐことは出来なかったが、母親の血としてのメジロマックイーンの血は確実に後世に繋がっており、 そこから、ドリームジャーニー・オルフェーヴル・ゴールドシップと言った時代を彩ったG1馬たちが誕生した。

信念とプライドでサラブレッドを生産し、天皇賞と言うレースにひたすらこだわりを持ち続けたメジロ牧場。
そのメジロ牧場が長い年月を掛けて親子3代天皇賞制覇を成し遂げ、総帥の思いを完結させた馬。

その走りは時代が変わっても色褪せる事はない。

日本が誇る最強ステイヤー

それが…

『メジロマックイーン』

なのだ。

メジロマックイーン
生年月日:1987年4月3日-2006年4月3日
父:メジロティターン
母:メジロオーロラ
戦績:21戦12勝
主な勝ち鞍:'90菊花賞(G1) '91'92天皇賞(春)(G1) '93宝塚記念(G1)
調教師:池江泰郎
騎手:武豊
馬主:メジロ商事(株)
生産者:吉田堅

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