クロフネ

クロフネ

1853年にアメリカのペリーという人物が黒船を率いて日本にやってきた。

1998年にアメリカで生まれ日本に持ち込まれた馬がいた。
この馬がクラシックを走る2001年から外国産馬にクラシックが解放されるのであった。
それに伴い日本に来たこの馬にはこう名付けられた

『クロフネ』

2000年の10月に京都でデビューしたクロフネ。
直線で行き場を失くしてしまい、最後は詰め寄るも2着が精一杯だった。
そして、折り返しの新馬戦も京都が舞台。
ここは3番手からあっさり抜け出し2:00.7のレコード勝ち。
続く、500万のエリカ賞も2:01.2のレコードでここも快勝。
この時点では、この馬がクラシックに一番近いと言う評価を受けていた。

しかし次走でその評価は一変してしまうのであった。

ここ2戦をレコード勝ちしたクロフネが向かったのは、ラジオたんぱ杯3歳ステークスであった。
クロフネはダントツ人気の1.4倍。
しかし、ここには後の皐月賞馬とダービー馬がいたのだ。

スタート後好位の4番手から競馬を進めて行く。
その後ろにジャングルポケットがいて、そのさらに後ろにアグネスタキオンがいた。
4コーナーを持ったまま上がっていったのだが、その横にアグネスタキオンがおり、 直線であっという間に離されジャングルポケットにも差され3着になってしまった。
どこか走りに軽さが見受けられなかった。

ここで皐月賞には見向きもせず矛先をまずはNHKマイルカップに定めた。
その為に、クロフネは毎日杯に出走するのであった。
前走負けたとはいえ単勝は1.3倍。
その強さを疑う者などいなかった。
2番手から運んでいき、直線で追い出すと瞬く間に差を広げ5馬身差の圧勝。
その走りは実に雄大な走りになっていた。

目標通り向かったのは第6回NHKマイルカップ。
G1では異例の1.2倍であった。
これまで好位でレースをしていたクロフネが一転このレースでは中団からレースを進めて行くのであった。

ややで負けしたクロフネは後方からレースを進めて行く。
逃げ馬が作ったペースは1000mを57.8のペース。
逃げ馬が粘る中、クロフネはまだ中団だった。
坂を上り残り数10メートルの所で逃げた馬を捕まえて見事G1制覇を飾った。
勝ちタイムは1:33.0。
その上りは、34.3と凄まじいものだった。

これで、次なる目標はダービー制覇だけであった。

2001年5月27日第68回日本ダービー。
アグネスタキオンが皐月賞後引退してしまい、ライバルは2歳の暮れに苦杯を舐めたジャングルポケットだった。
しかし、クロフネには距離不安も囁かれていた。
そして、この日の馬場は重と決して良いコンディションではなかった。

NHKマイルカップ同様に中団からレースを進めて行くクロフネ。
ジャングルポケットはその後ろに位置取っていた。

直線を回り外目を回ってくるのだが前走のような伸びを見せる事は出来なかった。
結局は5着。
やはり、距離・馬場・枠と様々な不安要素が的中してしまった。

秋は距離適性を考え天皇賞への出走が決まっていた。
その前哨戦として神戸新聞杯が選ばれた。
上がり最速をマークするも3着。
しかし悲観するような内容でなく、天皇賞に出れば当時最強と言われていたテイエムオペラオーとのレースが見れると誰もが思っていた。

が、事態は急変した。
この事態こそ、クロフネの運命を180℃変えた。

この当時は天皇賞には外国産馬は2頭までしか出走できない規定があり、急遽アグネスデジタルの出走によりクロフネは除外が決まった。
そして、陣営は一大決心をする。

“クロフネ武蔵野ステークス出走”
天皇賞の前日に行われるダートの武蔵野ステークスに出走することが決まった。

アメリカ血統であるこの馬はダート適性が無くは無かったが未知な部分でもあった。

2001年10月27日東京競馬場。
この日訪れたファンは、ダート競馬に於いて一生忘れる事が出来ない驚愕のパフォーマンスを目の当たりにするのであった。

スタート後は中団からレースを進めて行くクロフネ。
砂を被らないように外を回っていく。
3コーナーを前にポジションを上げて行き、4コーナーを前に先頭に立った。
無理にポジションを上げている訳ではない、馬の行きたいように武豊がエスコートをしていただけなのだ。
直線を向き先頭に立っているクロフネは、軽く追い出すと差は見る見るうちに広がって行った。
終わって着れば9馬身差の圧勝。
勝ちタイムダートにも関わらず1:33.3。
これはダートの1600mの日本レコードであった。
芝のNHKマイルカップを勝ったときは1:33.0という驚愕のタイムでの勝利であった。

ダートに大きな可能性を感じた陣営は次走にジャパンカップダートを選んだ。
ここでもやや出負けしたクロフネは中団で1コーナーを回っていく。
その時に武豊は砂が被らないのといつでも動けるように外にクロフネを持ち出した。

向こう正面に入ると少しづつポジションを上げて行った。
3コーナーに入る前にはポジションを既に中団まで押し上げており、大欅を過ぎたころにはもう先頭に躍り出ていた。
正に武蔵野ステークスの再現だった。
いや、それ以上かもしれない。

4コーナーでは2馬身ほどのリードを保って直線に入る。
そこからは差を付けるだけだった、後ろからの足音など聞こえない。
聞こえるはずもなかった。
着差は7馬身。
勝ちタイムは2:05.9のまたもや日本レコードだった。
これは単なる勝利ではなかった。
日本馬悲願の“ドバイワールドカップ制覇”を本気で予感させるものだったし、全ての人がこの“夢”をクロフネに託した。

そんな矢先、とんでもない知らせが日本中を駆け巡った。

“クロフネ。屈腱炎発症!引退”

クロフネに託した全ての夢と希望が泡に変わった瞬間であった。

外国産馬の門戸解放元年にアメリカから現れた1頭の芦毛馬。
ダートで見せた2戦のパフォーマンスは世界を狙えたものではあるし、その志半ばで引退してしまったのは残念だが今でも伝説になっているのだ。

クロフネ
生年月日:1998年3月31日
父:フレンチデピュティ
母:ブルーアヴェニュー
戦績:10戦6勝
主な勝ち鞍:'01NHKマイルカップ(G1) '01ジャパンカップダート(G1)
調教師:松田国英
騎手:武豊
馬主:金子真人
生産者:ニコラス M. ロッツ

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