カネヒキリ

カネヒキリ

オーナー金子真人と騎手武豊で2005年といえば、「英雄」と呼ばれたディープインパクトで3冠を獲得した年である。 しかし、同じコンビでダート戦線において同じように快進撃を続けていた馬がいた。

幻の3冠馬のフジキセキが世に出した、ハワイの言葉で「雷の精」という意味を持った馬

死の淵から這い上がった馬こそ…

『カネヒキリ』

である。

栗東の角居勝彦厩舎に入厩したカネヒキリは、デビュー戦を新潟の芝1400mで関東のベテラン騎手柴田善臣を背に迎えた。
結果は4着、次の小倉の未勝利戦の芝でも結果は11着といいところはなかった。
そこで陣営は矛先を芝からダートに変えた。
その初戦、京都のダート1800m戦でカネヒキリの評価は単勝59.5倍の9番人気の評価だった。
外枠からスンナリと先団に取り付き2番手からレースを進めていく。
直線の入り口で早々と先頭に立つと、そこからは後続を離すだけ離し7馬身差の圧勝であった。
続く500万下でもダートで走ったカネヒキリは、ここでも2番手からレースを進めていき4コーナーではすでに先頭に立った。
直線を向くと、前走同様の走りを見せ大差の勝利。
デビューから芝では結果が残せなかったがダートでのパフォーマンスは圧倒的なものだった。

オープンになったカネヒキリはもう一回芝のレースに挑戦した。
ここで好走することが出来れば皐月賞に向かうことが出来るからだ。
選択したレースは阪神での毎日杯であった。

武豊を背に3番人気で挑んだレースであったが、やはり芝への適性の低さが露呈し結果は7着。
この敗戦を機に今後はダート路線一本に絞っていくのだ。

毎日杯を敗れたカネヒキリは1か月後の京都で行われるダートのオープン端午ステークスに出走。
すでに、ダートでの強さを発揮していたカネヒキリは1.2倍の指示で出走。
好位からレースを進めると直線の入り口では先頭にたち終わってみれば9馬身差の大勝。
もはや同世代にダートでは敵はいない。
ここからカネヒキリの快進撃が始まり『砂のディープインパクト』と呼ばれる所以となるのだ。

2回目の重賞挑戦は東京で行われる3歳ダートのユニコーンステークス。
ここを単勝1.1倍に応えて勝利、次に向かったのは大井で行われる交流G1のジャパンダートダービーであった。
初めての地方のダート、初めてのナイターなどアラを探せばいくらでもあった。
しかし、そんなことはカネヒキリには何も関係なかったのだ。
先行勢を見ながらレースを進めていき、4コーナーでは先頭に立ちそこからは独断場であった。

この時、クラシックでは同じ勝負服で同じ騎手でディープインパクトという馬が無敗で3冠を達成した。
そのディープインパクトにちなんで、この頃からカネヒキリは『砂のディープインパクト』と呼ばれるようになっていた。
しかし、この馬の快進撃はこんなものではなかったのだ。

見事G1馬となったカネヒキリは2ヶ月後の盛岡で行われるダービーグランプリに向かいここも勝利。
G1連勝を飾った。

同世代に敵がいないことはわかった。
次にカネヒキリが挑んでいくのは古馬の壁。
これを突破してこそ、その先に世界が見えてくるのだ。

そんな古馬との初対決に選んだのはジャパンカップダートの前哨戦である武蔵野ステークスであった。
初めての古馬でもファンの支持は一切変わらなかった。
単勝は1.3倍の人気。
いつもは先行するカネヒキリだがこのレースでは後方からの競馬になった。
やはり、芝のスタートが影響なのだろうか。
最後は、先に抜けたサンライズバッカスを捕まえることが出来ずに2着になり、無敗を誇ったダートでの初めての敗戦となった。
しかし、斤量は勝ち馬よりもカネヒキリの方が3キロ重かったことを考えれば古馬相手でも戦える目処はたった。

そしてカネヒキリの世界デビュー戦がやってきた。
2005年11月26日第6回ジャパンカップダート。
日本ダート界の総大将として世界を迎え撃つ形となったカネヒキリをファンは1番人気で後押しをした。
スタートを切ったカネヒキリは中団からレースを進めていった。
直線で大外に持ち出し、日本馬による叩き合いが演じられた。
内にスターキングマン。
中にシーキングザダイヤ。
外にカネヒキリ。
わずかにカネヒキリのハナが出たところがゴールであった。

これで正真正銘の日本のダート王になった。

年が明けてフェブラリーステークスに出走したカネヒキリは、中団からレースを進め最後は鋭く伸び2着に3馬身の差をつけて勝利。
この勝利を機にドバイワールドカップに出走した。
しかし、この馬をもってしても世界の壁をこじ開けることは出来なかった。

帰国後に大井の帝王賞に走るがアジュディミツオーを捕まえ切れず2着。
その後、マイルチャンピオンシップ南部杯を目指し調整を進めていたのだがここで悲劇がカネヒキリを襲う…

『カネヒキリ。屈腱炎発症。』

引退も取り沙汰されたが陣営は現役続行を決断。
ここから、長い闘病生活が始まる。
しかし、その後にとてつもない結果が待っていることはまだ誰も知らない…

屈腱炎というのは競馬の世界では“不治の病”として知られており完治がほぼ難しい病である。

カネヒキリは2007年秋のマイルチャンピオンシップ南部杯を目指し懸命に病と闘ってきた。
しかし、なぜだろう…
カネヒキリは再び屈腱炎を発症してしまったのだ。
そこからまた1年の休養を挟み、2008年の11月の武蔵野ステークスで復帰した。

復帰初戦は9着。
この結果は仕方なかったが、無事に走れたことが何よりだった。

2008年12月7日。
今年から舞台を阪神に移したジャパンカップダートに出走してきた。
二度の屈腱炎での長期休養開けでありながら4番人気の評価を受けた。
鞍上は骨折休養中の武豊ん変わりフランス人騎手のクリストフ・ルメールが手綱を取った。
いつも通りの先行策でレースを進めていく。
4コーナーを回り直線でルメールは内を選んだ。
カネヒキリの前にはぽっかりとスペースが空いていた。
そのまま押し切り、メイショウトウコンとヴァーミリアンが迫るがアタマ差凌いでのゴール。
二度の屈腱炎という大病から見事復活した瞬間であった。
それはまさに『奇跡』と呼ぶに相応しいことであった。

その後、東京大賞典、川崎記念とG1を連勝し積み重ねたG1勝利数を7とした。
川崎記念の後はフェブラリーステークスに出走し3着、5月のかしわ記念では2着になったのだが 今度は骨折が判明し三度休養に入った。

復帰したのは1年後の帝王賞だった。
結果は2着。
続くマーキュリーカップを勝ち、門別のブリーダーズゴールドカップで2着に入った。
その後、再び屈腱炎を発症し引退が決まった。

この馬は何度脚元の怪我に見舞われたのだろう。
なぜここまで苦しまなければならなかったのだろう。

そんな思いにさせらるほど辛い思いをしただろう。

しかし、2008年のG13連勝が全てを忘れさせてくれる気がする。
不屈の精神力で何度も地獄から這い上がってきた馬

それが…

『カネヒキリ』

なのだ。

カネヒキリ
生年月日:2002年2月16日-2016年5月27日
父:フジキセキ
母:ライフアウトゼア
戦績:23戦12勝
主な勝ち鞍:'05ジャパンダートダービー(G1) '05ダービーグランプリ(G1) '05'08ジャパンカップダート(G1) '06フェブラリーステークス(G1) '08東京大賞典(G1) '09川崎記念(G1)
調教師:角居勝彦
騎手:武豊・C.ルメール
馬主:金子真人ホールディングス
生産:ノーザンファーム

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