ダンスインザダーク

ダンスインザダーク

日本には一族と呼ばれる血統がある。
90年代を彩った一族がおり、その一族は『ダンス一族』と呼ばれた。

父は90年代に時代を気付いたサンデーサイレンス。
母はニジンスキーの血を引くダンシングキイ。
兄にはクラシックで活躍したエアダブリン。
姉はオークス馬のダンスパートナー。
とこの生まれる前から走る事が約束されていたのだ。

6月生まれと競走馬としては遅生まれであった。
遅生まれと言うのはサラブレッドにとっては致命傷で成長が早生まれに比べたら成長が遅い言うハンデを抱える事になるのだ。

しかし、調教師の橋口弘次郎はこの馬にただならぬモノを感じていた。

1995年の12月にデビューを迎えたダンスインザダークだがここで衝撃的なレースを見せたのだ。
中団からレースを進めていたダンスインザダークだが、直線を向いて逃げ馬が逃げ込みを図ろうとするのを上り最速で差し切り勝ちを収めたのだ。
しかも終始内にササリながらの勝利だったのだ。
この勝ち方は一躍ダンスインザダークの評価を上げたのだ。

次のレースに選ばれたのはラジオたんぱ杯3歳ステークス。
ここには同じサンデーサイレンス産駒の、ロイヤルタッチとイシノサンデーも出走していた。
新馬戦を勝ったばかりのダンスインザダークは2番人気に推された。
初めての重賞級の馬を相手にしたダンスインザダークだったが、やはり遅生まれのハンデ差は否めずロイヤルタッチ、イシノサンデーから3馬身半の3着だった この時期での力の差はまだあった。
しかし、ダンスインザダークは己の成長力でその差を着実に埋めていくのだ。

年明け最初のレースに選ばれたのはクラシックへの登竜門のきさらぎ賞。
ここで相対するのはラジオたんぱ杯3歳ステークスで敗れたロイヤルタッチであった。
結果は負けてしまったのだが2か月前には3馬身半あった着差がクビまで縮まっていた。
確実に彼らにダンスインザダークが追い付いてきたのだ。

そして、皐月賞トライアルの弥生賞に向かった。
1番人気はイシノサンデーに譲ったのだが勝ったのはダンスインザダーク。
この時点で既にクラシックと言うものがはっきりと見えていた。

これで、堂々と皐月賞へ迎える。
と思っていた矢先にダンスインザダークが熱発を発症し皐月賞を回避せざるを得なくなった。
そして、ダービーの前にプリンシパルステークスに出走することになった。

1996年5月11日プリンシパルステークス。
ダンスインザダークは単勝1.1倍のダントツの支持を受けてレースに挑んだ。

ただ…

ここには最大のライバルになる馬が出走するはずだった…

それを尻目に好位からレースを進めて行ったダンスインザダークは1頭だけ抜けた上りを繰り出し圧勝。
武豊に初めてのダービーをもたらすのはこの馬だと誰もが思った。

そして、様々な思いが交錯した競馬の祭典が幕を開けた。

1996年6月2日第63回日本ダービー
ダンスインザダークはもちろん1番人気での出走となった。
鞍上の武豊はこれまでに数々のタイトルを手にしていたのだがダービーだけはどうしても手が届いていなかった。
それは、調教師の橋口も同じだった。
お互いにどうしても欲しいタイトル。

それが『日本ダービー』なのだ。

2枠3番の内に入ったダンスインザダークと武豊は積極的に4番手から競馬を進めた。
これは武豊がダービーを勝ちに行くための戦法であった。
それだけ、この馬とのダービーに掛ける思いと言うのは並大抵のモノではなかった。

サクラスピードオーが作り出したペースは1000m通過が61.4の早くも遅くもないペースであった。
そのペースを4番手でダンスインザダークは武豊に支持に従いガッチリと折り合っていた。
ダンスインザダークの後ろには皐月賞馬のイシノサンデー、フサイチコンコルド、中団にロイヤルタッチという隊列で流れて行った。

直線を向きダンスインザダークが早めに先頭に立つ。
坂を上ってもなお先頭。
人気のロイヤルタッチもイシノサンデーも追って来ない。
武豊の悲願達成かと思われた瞬間であった…

オレンジの帽子が音速の如く飛んできた。

“フサイチコンコルド”

本来ならプリンシパルステークスで雌雄を決するはずだった相手に1番の舞台で差し切られたのだ。
3戦目でのダービー勝利と言う空前絶後の記録を作り、ダンスインザダークはその引き立て役になってしまった。

武豊、橋口弘次郎共に頭が真っ白になったという。
この無念を晴らせるのは残り1レース。
菊花賞しか残されていなかった。

夏に予定していたイギリス遠征が白紙になり休養に充てたダンスインザダーク。
秋の初戦には京都新聞杯が選ばれライバルを抑えて勝利。
残された最後の淀の戦いに向かって行くのであった。

1996年11月3日菊花賞
ダービーで足元を救われたライバルも出走をしてきたがファンはダンスインザダークを1番人気に指示した。
17番枠からスタートしたダンスインザダークを武豊は中団に位置付け、そして最内に進路を取っていた。
ダンスインザダークのライバルと目されている馬たちは全てダンスの前にいた。
ポジション的にはライバルを見れる絶好のポジションであったのだが…

3コーナーの坂の下りで先行した馬たちが次々に下がってきてしまい外に出すことが出来なくなってしまった。
それに合わせて、ダンス自身が最内で前が壁になり身動きが取れないポジションまで下がってしまた。

橋口は思った
「終わった…」と

この時既にポジションは12番手。
絶望的な位置であった。
しかし、武豊はそこから自らの手腕を発揮するのだった。

追い出しを開始ししたがやはり前が壁になっていた。
そこから強引に外に持ち出し、そこから鬼脚を発揮し上り33.8と長距離の常識では考えられない上がりを発揮し勝利。
見事、菊の大輪を咲かせたのであった。

翌年には海外遠征を控えたいたのだが、菊花賞の翌日に屈腱炎を発症しそのまま引退することとなった。

わずか、1年の競走馬人生であったがわずか8戦しか走っていないがその衝撃は今でも語り継がれている。

ダンスインザダーク
生年月日:1993年6月5日
父:サンデーサイレンス
母:ダンシングキイ
戦績:8戦5勝
主な勝ち鞍:'96菊花賞(G1)
調教師:橋口弘次郎
騎手:武豊
馬主:(有)社台レースホース
生産者:社台ファーム千歳

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