ベガ

ベガ

光り輝く空には数多の星が散りばめられている。
その中に、こと座と言う星がありそのなかで最も光輝いているの星を“ベガ”と呼ぶ。
七夕の時期によく耳にする『織姫』のことである。

90年にこの世に生を受けた牝馬に、この光輝くこと座にちなんで名づけられ、文字通り光り輝いた牝馬がいた。

その名は…

『ベガ』

90年に社台ファーム早来で生まれた一頭の牝馬。
父は社台グループが期待をかけ購入した新種牡馬のトニービン。
母はノーザンダンサーの子供のアンティックヴァリュー。
社台グループ総帥の吉田善哉が目を付け輸入した牝馬であった。

そんな名血から生まれたベガであったが、母のアンティックヴァリューは慢性的に脚部が内に曲がる 『内向(ないこう)』と言う特徴があり、生まれたベガにもその兆候は見られていた。
その内向たるや馬の成長とともに左前脚が曲がり始め、誰が見ても一目で分かるほどひどく曲がっていたのであった。
このひどい内向は競走馬として生まれたベガにとっては大きなハンデであり、競走馬としてデビュー出来るかさえも分からなかった。

しかし、いざデビューへ向けた調教を始めると脚元への負担はそれほど大きいものではなく、 動きも良くなっていき競走馬としてデビュー出来る可能性は秘めていた。
そして、栗東の松田博資厩舎へ入厩し本格的にデビューへ向けた準備が進められた。

馬名の由来は顔にある斑点模様が星に見え、オーナーの孫が織姫にあたる「ベガ」と命名した。
この名前には「織姫のように光り輝いてほしい」という思いが込められていた。

1993年1月に無事デビューを迎えたベガ。
ここまで課せられた調教は実質1本であり、それでも2着になったことを陣営は悲観することはなく、むしろ期待が高まったのであった。
続く2戦目には武豊が手綱を取り、2番手からレースを進め2着に4馬身半の差を付けて勝利。
生まれながらに脚元にハンデを抱えていたが持っているポテンシャルは凄まじいものであった。

3戦目には桜花賞トライアルのチューリップ賞が選ばれた。
新馬戦を勝ったばかりにも関わらず1番人気に支持され、2着に3馬身差を付けての勝利。
一躍桜花賞候補に名乗り出たのだ。
しかし、調教師の松田は元々オークス向きと思っており桜花賞の1600mは短いと考えていたのだがそれを振り払うような勝利であった。

1993年4月11日第53回桜花賞。
ベガは堂々と1番人気での出走となった。
8番枠から好スタートを切り早めの2番手からレースを進めて行く。
この時代の桜花賞と言えば毎年のように“魔の桜花賞ペース”と呼ばれるくらいハイペースのレースが多かった。
しかし、この年は前半の半マイルが47.4と例年に比べれば落ち着いた流れであったのは間違いない。
特に引っ掛かるところもなくスムーズに3コーナーを曲がり、4コーナーの出口では既に先頭に立っていた。
そして、満を持して追い出しにかかり逃げ込みを図ろうとするところに、後方からユキノビジンが追いすがる。
しかし、ベガがクビ差凌いだところがゴールであった。

生まれながらのハンデを克服し見事桜花賞馬となったのであった。

次の目標はもちろんオークス。
目指すは2冠の達成であった。

1993年5月23日第54回オークス。
桜花賞の走りから距離不安が懸念され1番人気ではあったが桜花賞よりも評価を下げ3.4倍という支持であった。
13番枠からスタートを切ったベガは桜花賞よりは少し後ろ目の4番手でレースを進めていく。
前には桜花賞で2着になったユキノビジンがいた。
前半1000m通過が60.6の平均ペースで流れていった。
直線を向きベガが先頭に立つ。
ライバルのユキノビジンもベガ目掛けて追いすがる。
坂を上り残り200mを切ったところでユキノビジンを突き離しにかかり終わってみれば1馬身3/4の勝利。
着差以上に完勝だった。

これで、ベガは東と西の空に光輝いたのであった。

秋にベガが目指すのはエリザベス女王杯で牝馬3冠を目指していたのであったが、 夏に蹄の部分に怪我をしてしましエリザベス女王杯出走自体が危ぶまれるものであった。
そのため、エリザベス女王杯トライアルのローズステークスを回避せざるを得なくなり直行で向かうのであった。

1993年11月14日第18回エリザベス女王杯
やはり、中間に頓挫があったのは人気にも影響を及ぼした。
桜花賞とオークスを完勝しているにも関わらず、1番人気はローズステークスを勝ったスターバレリーナに譲りベガは2番人気での出走になった。

スタート後しばらくしてベガは他馬と接触をしバランスを崩した。
そのため、鞍上の武豊はベガをこれまでとは違い中団に待機をさせたのだ。

道中は中団まで押し上げ最後の直線で伸びは見せたのだが、ホクトベガとノースフライトを捉えきれず3着。
メジロラモーヌ以来の牝馬3冠にはならなかった。

その後ベガは年末の有馬記念への出走を決めた。
ここには、ウイニングチケット、ビワハヤヒデ、トウカイテイオーなどが出走しており、トウカイテイオーの劇的な復活劇の裏で9着と敗れた。
年が明け、大阪杯で9着、宝塚記念を13着と敗れて現役を引退し繁殖としての生活を始めた。

初年度として相手に選ばれたのは、不世出の種牡馬のサンデーサイレンスであった。
その初年度産駒として生まれたのは、1999年のダービー馬のアドマイヤベガであった。
その後は、ダートで無類の強さを放ったアドマイヤドンなどを5頭の産駒を残してこの世を去った。
繁殖実績を考えれば残した産駒数は少ない。
しかし、その血脈は確実に受け継がれ最後に残したヒストリックスターと言う牝馬から、『ハープスター』が生まれたのだ。
ハープスターと言う名前こそが“ベガ”の別名なのである。

ベガは、本当に星になってしまった。
息子のアドマイヤベガも星になってしまった。

だが、ベガが残した功績や血脈は後世に繋がっている。

ベガ
生年月日:1990年3月8日-2006年8月16日
父:トニービン
母:アンティックヴァリュー
戦績:9戦4勝
主な勝ち鞍:'93桜花賞(G1) '93オークス(G1)
調教師:松田博資
騎手:武豊
馬主:吉田和子
生産者:社台ファーム早来

アドレナリン競馬予想とは 2016年アドレナリン競馬的中実績
うま

copyright©2013 無料の競馬予想 穴馬的中に自信アリ | アドレナリン競馬 All Rights Reserved.

上部に戻る