アグネスタキオン

アグネスタキオン

馬名に記されている「タキオン」とは「超光速の粒子」という意味がある。
要するに「速い」ということである。

名前の通り「速い馬だった」
スピードも現役馬としても…

たった4戦にも関わらず見ている全ての人に衝撃をもたらし、あらゆる可能性を示した馬。
フジキセキ以来の“幻の3冠馬”と言われた馬。

それこそ

『アグネスタキオン』

兄には2000年にダービーを制したアグネスフライト。
そんな兄をも超える存在と言わしめたのが1歳時のアグネスタキオンであった。

栗東の長浜厩舎に入厩したアグネスタキオンはデビューは2000年12月の阪神の2000mであった。
暮れの阪神1週目の新馬戦は良血馬が集まるちと言われており、アグネスタキオンよりも評価の高い馬は2頭いた。
しかし、そんな評価をアグネスタキオンは自身の走りで覆すのである。

10頭たての7番手からレースを進めていく。
残り600mから動き出し4コーナーでは先頭に躍り出る勢いであった。
そして、そのまま上がり33.8の末脚で一気に先頭にたち後続に3馬身半の差をつけて勝利。
勝ちタイムこそ2:04.3と平凡だがその勝ち方は度肝を抜くものだった。
そして、アグネスタキオンの名を一気に世間に広めることとなるのが次走のラジオたんぱ杯3歳ステークスである。

2000年12月23日第17回ラジオたんぱ杯3歳ステークス。
世代屈指の好メンバーとなった。
後のNHKマイルカップとジャパンカップダートを勝つクロフネ。
この後、無敗で皐月賞を制するアグネスタキオン。
さらに、翌年のダービー馬のジャングルポケットの3強であった。

スタートし先に行ったのはクロフネであった。
その後にジャングルポケットがおり、アグネスタキオンはその2頭を見る形となった。
残り600mを過ぎたあたりからアグネスタキオンが一気に前との差を詰めていく。
それは、瞬間移動かと思うほどの速さであった。
後の2頭はなす術がなかった。
それほどまでにアグネスタキオンのレースっぷりは同世代のレベルを超えていた。

この1戦を制したアグネスタキオンには、「3冠当確」の声さえ上がっていた。

その、3冠を目指すべく始動戦に選んだのは皐月賞トライアルの弥生賞だった。
単勝1.2倍。
この馬からすれば妥当な評価であった。

しかし、この弥生賞がこの馬のサラブレッドとしての人生を狂わせたと言っても過言ではないだろう。

前日から降り続けた雨のせいで当日の馬場は不良。
それでもアグネスタキオンは苦にすることなくいつも通り好位からレースを進めていく。
こんな類をみない泥んこ馬場でも終わってみれば5馬身差。
適正云々ではなく持っているポテンシャルが群を抜いていたのだ。
もう死角はない。

後は当日を迎えるだけだった。

2001年4月15日第61回皐月賞。
戦前の予想はジャングルポケットとの2強だった。
そんな中でも単勝は1.3倍とダントツで抜けていた。

スタートでまずライバルのジャングルポケットが躓いてしまったのだ。
アグネスタキオンは5番手からレースを進めていく。
直線を向き坂下で先頭の躍り出た。
そこからは他馬の追撃を凌ぎ1馬身半差で勝利。
結果は完勝に見えたのだが、一人だけ全く違う感覚を感じている男がいた。

「今日はピリッとしなかった」
鞍上の河内洋が感じた違和感であった。
これまで上がりで最速をマークした馬が上がりで3番目のタイムだったのだ。

百戦錬磨の騎手が感じた感覚は当たった。

『左前浅屈腱炎』

現役続行も視野入れられたのだが、結局は引退が決定した。

種牡馬としての活躍も目を見張るものがあり、数々のG1馬を世に排出した。
今後も種牡馬として期待されていたのだが2009年にこの世を去ることになった。

アグネスタキオンとは…

超高速でターフと生涯を走り抜けた光り輝く馬だった。

アグネスタキオン
生年月日:1998年4月13日-2009年6月22日
父:サンデーサイレンス
母:アグネスフローラ
戦績:4戦4勝
主な勝ち鞍:'01皐月賞(G1)
調教師:長浜博之
騎手:河内洋
馬主:渡辺孝男
生産者:社台ファーム

アドレナリン競馬予想とは 2016年アドレナリン競馬的中実績
うま

copyright©2013 無料の競馬予想 穴馬的中に自信アリ | アドレナリン競馬 All Rights Reserved.

上部に戻る